古代インドの叡智が解き明かす「死」の真実〜バガヴァッド・ギーターに学ぶ魂の永遠の旅〜
「死」は終わりではなく、新たな始まりバガヴァッド・ギーターの第15章8節は、私たちの存在の本質と「死」の真の意味について深い洞察を与えてくれます。私たちの魂は、まるで香りを運ぶ空気のように、ある肉体から別の肉体へと移動します。死は単なる終わりではなく、新たな旅の始まりなのです。 Bhagvad gita 15.8śarīraṁ yad avāpnoti yac cāpy utkrāmatīśvaraḥ. gṛhītvaitāni saṁyātivāyur gandhān ivāśayāt 物質界にいる生命体は、空気が香りを運ぶように、さまざまな観念をある肉体か ら別の肉体へと運ぶ。このようにして、ある肉体を得たあと、次の肉体を得るためにそ の肉体を終える。 要旨解説 ここで生命体はéçvara(イーシュヴァラ)「肉体の支配者」と呼ばれています。望 みさえすれば、肉体をさらに高い境地に高めることもでき、また逆に堕落させることもでき ます。ささやかな自主性が用意されている、ということです。肉体の変化は生命体が決める ことです。死ぬときの意識が、魂を次の肉体に連れていきます。犬や猫のような意識で死ね ば、もちろん犬や猫のからだに入っていきますし、神聖な気質で死ねば、半神の姿を得ます。 さらに、クリシュナ意識で生涯を終えれば、精神界のクリシュナローカに行き、そこでクリ シュナとの交流を楽しむことができます。肉体が死ねばすべては終わる、と考えるのはまち がいです。魂は別の肉体に移るのであり、現在のからだや行動が次のからだを決定する原因 になります。肉体はカルマに応じて与えられ、その肉体もやがて終えなくてはなりません。 この節では、希薄なからだが現在の観念を次の肉体に運び、そして来世で別のからだを作り だす、と述べられています。からだを変えていくこの転生と、肉体にいるあいだの苦闘を karsati(カルシャティ)「生存競争」といいます。 śrotraṁ cakṣuḥ sparśanaṁ ca rasanaṁ ghrāṇam eva ca adhiṣṭhāya manaś cāyaṁ viṣayān upasevate[15.9] 訳 こうして生命体は別の濃密なからだに入ったあと、心を中心として耳、目、舌、 鼻、感触の感覚を得る。そして感覚の対象物を味わうのである。要旨解説 言いかえれば、生命体が自分の意識を犬や猫の意識の状態に落としてしまえ ば、来世で犬や猫のからだを手にいれ、そのからだを楽しむ、ということです。意識はもと もと水のように純粋です。しかしある色と混ざれば、別の色に変わります。同じように、精 神魂は純粋ですから意識も純粋です。物質との接触によって変化するのです。ほんとうの意 識はクリシュナ意識です。ですから、クリシュナ意識になれば本来の純粋な生活をするよう になります。しかし、意識が物質的な心理状態になれば、来世でその意識に応じた肉体を手 にいれます。そして、ふたたび人間のからだを得るとはかぎりません。犬、猫、豚、半神