アルジュナが拒否したヨーガ
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アルジュナが拒否したヨーガ

ヨーガは、最近になって西洋でもよく知られるようになりました。しかし、そのどれをとっても、ヨーガ(yoga)を完成さ せる方法について正しく伝えているものはありません。至高主 * * * クリシュナは、クルクシェートラの戦場でアルジュナに『バガヴアッ* ド・ギーター』を説きながら、ヨーガの完成について教えました。ヨーガの完成をきわめたいと願う人は、『バガヴァッド・ギーター身のなかに、至高者の権威あることばを見いだすことでしょう。

クリシュナ 、喜びの宝庫 

クリシュナ 、喜びの宝庫 

クリシュナ―――この音は超越的です。クリシュナ とは、最も高い喜びを意味します。私たちは皆、すべての生命体は、喜びを探し求めます。しかし、私たちはどうやって完璧に喜びを探し求めるかを知りません。人生の物質主義的な概念を持って、私たちは自分の喜び(訳注:~への渇望)を満足させることにおいて、絶えず挫折しています。なぜなら、本当の喜びを持つ水準について、何の情報も持たないからです。

狂っているのは誰か?

狂っているのは誰か?

主シュリー・クリシュナはこうおっしゃいます。「我が親愛なるアルジュナよ。異なる階級の人間が存在します。一つの階級の人間たちは、彼らは眠っています。そしてもう一つの階級の人間たち、彼らは目覚めています。彼らは眠っていません。」

そして、これはどうしてそうなのでしょうか?私たちがちょうどいま行った、この唱えることは、眠っている魂のための目覚めの過程です。魂は、この物質的な体に覆われて眠っています。これらの身体的な活動は、眠っている状態(段階)にあります。

Prabhupada ashraya Program

Prabhupada ashraya Program

バクティ・ヨガ・スクール – ハレー・クリシュナは、信者の献身的実践を初級から上級まで段階的に進めるためのプラブパーダ・アーシュラヤ・プログラムを主催しています。シュリーラ・プラブパーダ・アーシュラヤ・プログラムは年に複数回開催され、すべての参加者に便利な機会を提供しています。信者は事前に登録し、プログラムのガイドラインを順守して、様々なアーシュラヤのレベルを順調に進む必要があります。

親愛なる弟子による説明
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親愛なる弟子による説明

「ロサンゼルスでは、多くの父親や母親が私のもとを訪れ、クリシュナ意識運動を世界中に広めたことへの感謝の気持ちを表してくれました。アメリカ人にとって、私がアメリカでクリシュナ意識運動を始めたことは非常に幸運だと言う人もいました。しかし実際には、この運動の本当の創始者はクリシュナ主自身です。この運動は遠い昔に始まり、師弟継承によって人類社会に伝えられてきたのです。もし私にこの点で何か功績があるとすれば、それは私個人のものではなく、私の永遠の精神的指導者である、オーム・ヴィシュヌパーダ・パラマハムサ・パリヴラージャカーチャーリヤ108シュリー・シュリーマド・バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・ゴースヴァーミー・マハーラージャ・プラブパーダの御恩によるものです。」

スピリチュアルな探求者の皆様へ:古代インド哲学への扉を開く90分の旅
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スピリチュアルな探求者の皆様へ:古代インド哲学への扉を開く90分の旅

親愛なる探求者の皆様、人生の意味を探し求め、より深い真理を渇望していませんか? 日々の喧騒の中で、心の平安と自己の本質を見出したいと感じていませんか? もしそうなら、私たちの「古代インド哲学入門」クラスは、まさにあなたのための旅立ちの地点となるでしょう。この90分のクラスで、5000年以上の叡智が凝縮された世界へと誘います。

クリシュナ意識とは?  完璧なバクティ・ヨーガ
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クリシュナ意識とは? 完璧なバクティ・ヨーガ

この会話は、1975 年7月、アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィアのクリシュナ寺院にあるシュ リーラ・プラブパーダの部屋で、女性記者サンディ・ニクソン氏との間で交わされたものです。クリシュ ナ意識をわかりやすく紹介したすばらしい会話であり、ハレー・クリシュナ・マントラ、グルと最高人格 主神の関係、真のグルと偽物グルの違い、クリシュナ意識での女性の役割、インドのカースト制度、キリ スト意識とクリシュナ意識の関係など、基本的な主題が話されています。
ニクソン氏 まず基本的なことをうかがいます。クリシュナ意識とはなんでしょうか?

古代インドの叡智が解き明かす「死」の真実〜バガヴァッド・ギーターに学ぶ魂の永遠の旅〜

古代インドの叡智が解き明かす「死」の真実〜バガヴァッド・ギーターに学ぶ魂の永遠の旅〜

「死」は終わりではなく、新たな始まりバガヴァッド・ギーターの第15章8節は、私たちの存在の本質と「死」の真の意味について深い洞察を与えてくれます。私たちの魂は、まるで香りを運ぶ空気のように、ある肉体から別の肉体へと移動します。死は単なる終わりではなく、新たな旅の始まりなのです。 Bhagvad gita 15.8śarīraṁ yad avāpnoti yac cāpy utkrāmatīśvaraḥ. gṛhītvaitāni saṁyātivāyur gandhān ivāśayāt 物質界にいる生命体は、空気が香りを運ぶように、さまざまな観念をある肉体か ら別の肉体へと運ぶ。このようにして、ある肉体を得たあと、次の肉体を得るためにそ の肉体を終える。 要旨解説 ここで生命体はéçvara(イーシュヴァラ)「肉体の支配者」と呼ばれています。望 みさえすれば、肉体をさらに高い境地に高めることもでき、また逆に堕落させることもでき ます。ささやかな自主性が用意されている、ということです。肉体の変化は生命体が決める ことです。死ぬときの意識が、魂を次の肉体に連れていきます。犬や猫のような意識で死ね ば、もちろん犬や猫のからだに入っていきますし、神聖な気質で死ねば、半神の姿を得ます。 さらに、クリシュナ意識で生涯を終えれば、精神界のクリシュナローカに行き、そこでクリ シュナとの交流を楽しむことができます。肉体が死ねばすべては終わる、と考えるのはまち がいです。魂は別の肉体に移るのであり、現在のからだや行動が次のからだを決定する原因 になります。肉体はカルマに応じて与えられ、その肉体もやがて終えなくてはなりません。 この節では、希薄なからだが現在の観念を次の肉体に運び、そして来世で別のからだを作り だす、と述べられています。からだを変えていくこの転生と、肉体にいるあいだの苦闘を karsati(カルシャティ)「生存競争」といいます。 śrotraṁ cakṣuḥ sparśanaṁ ca rasanaṁ ghrāṇam eva ca adhiṣṭhāya manaś cāyaṁ viṣayān upasevate[15.9] 訳 こうして生命体は別の濃密なからだに入ったあと、心を中心として耳、目、舌、 鼻、感触の感覚を得る。そして感覚の対象物を味わうのである。要旨解説 言いかえれば、生命体が自分の意識を犬や猫の意識の状態に落としてしまえ ば、来世で犬や猫のからだを手にいれ、そのからだを楽しむ、ということです。意識はもと もと水のように純粋です。しかしある色と混ざれば、別の色に変わります。同じように、精 神魂は純粋ですから意識も純粋です。物質との接触によって変化するのです。ほんとうの意 識はクリシュナ意識です。ですから、クリシュナ意識になれば本来の純粋な生活をするよう になります。しかし、意識が物質的な心理状態になれば、来世でその意識に応じた肉体を手 にいれます。そして、ふたたび人間のからだを得るとはかぎりません。犬、猫、豚、半神

生と死をどのように幻想として描写できるでしょうか?

生と死をどのように幻想として描写できるでしょうか?

私たちは毎日多くの生き物が生まれ、死んでいくのを目にします。死をどのように定義できるでしょうか?それは毎回起こることなのでしょうか?私たちは何度死を経験してきたのでしょうか?前回の「デスラボ」で、「生と死の学校」プロジェクトのためにこれらのトピックについて考えました。
古代インドの知恵の文献であるバガヴァッド・ギーターから、非常に興味深い概念に出会いました。そこでは、死は体の変化としても描写されています。基本的に、私たちの生と死の認識は、それを理解しようとする次元に関連しています。詳しくはこのブログをご覧ください。

Kartik Month カーティク
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Kartik Month カーティク

「Dāmodaraというのは、Kṛṣṇaの別名です。Dāmodara寺院、つまりRādhā-Dāmodara寺院はVṛndāvanaにあり、私はそこに滞在していました。今でも私には2つの部屋があります。このDāmodaraの説明ですが…Dāmodara 月がやって来て、この10月の18日から始まります。その日から、18日から11月17日までの1ヶ月間、Dāmodara-vrataを行います。すべきことは、夕方、正に御神像の面前で蝋燭を捧げることです。小さな蝋燭を皆さん全員で。部屋の中でなく、部屋の外でです。Dāmodarastakaつまりnamāmisvaram を唱えます。それは私たちの歌集にすでに印刷されています。これがDāmodara-vrataです。」。                                                                                 Srila Prabhupada Lecture, Mayapur, October 11, 1974 カーティク月はヴェーダ太陰暦の8月で、この月に有名なクリシュナのダモーダラ遊戯が行われたため、ダモーダラ月とも呼ばれています。 この月は非常に縁起の良い月で、毎晩、人々はクリシュナにギー・ランプを捧げ、寺院全体が灯されたランプで飾られるのです。   この月、献身者はクリシュナの子供の姿を愛情を込めて拝みます。 金細工が熱を帯びて輝くように、とても美しい人がギーランプで拝まれると、その美しさがますます引き立つのです。   こうして、献身者は毎日ダモーダラ月間を祝っているのです。 スリラ・プラブパーダとダモーダラとヤショーダ・マイヤの写真を祭壇に置く ギー・ランプを用意する。ギーランプを用意するのが難しい場合は、オイルランプやろうそくを使ってもよい。 シライラ・プラブパーダのアルティをすることから始め、次にチャイタニャ・マハプラブ、そしてダモーダラとマザー・ヤショーダのアルティをすることです。 このように、ランプを足もとの方を見て4回、お腹の方を見て2回、顔の方を見て3回、全身で7回回転させながらアーティを行います。 アルティの前に次のような祈りを歌い、主のダモーダル遊戯を思い出します。 Śrī Dāmodarāṣṭakaṁ  シュリー・ダーモーダラースタカム作詞:サティヤヴラタ・ムニ ​ (1) ナマーミーシュヴァラム サッチ アナンダ ルーパン   namāmīśvaraṁ sac-cid-ānanda-rūpaṁ ラサッ クンダラン ゴクレ ブラージャマナン lasat-kuṇḍalaṁ gokule bhrājamanam ヤショダー ビヨルークラ ダーヴァマーナン yaśodā-bhiyolūkhalād…