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    Oṁ namo bhagavate vāsudevāyaの解説

    VāsudevāyaとはVasudevaの息子であるKṛṣṇaを意味します。Vāsudevāya、Kṛṣṇaの御名を唱えることで人は慈善、禁欲生活と苦行の全ての良い結果を達成することが出来ます。従ってこのマントラoṁ namo bhagavate vāsudevāyaを唱えることによってŚrīmad-Bhāgavatamの著者又は語り手又は読者は全ての喜びの源である至高主Kṛṣṇaに尊敬の礼を捧げるということを理解されています。 このoṁとは主に向かって言を呼びかけることを意味します。全てのVedaマントラで呼んでいます。私たちこのmahā-mantraであるHare Kṛṣṇaも呼びかけることです。Hare,Hare,主のエネルギーであるHarāを呼びかけています。エネルギーはHarā, Rādhā, Sītāです。女性を呼びかける時このようです。Hare, Late, Sīte, Rādhe。従ってHareとはまず第一に最初にエネルギーを呼びかけることを意味します。非人格主義者たちはこのことを知りません、まず第一に最初にKṛṣṇaのエネルギーを呼びかけること。私たちGauḍīya-VaiṣṇavaはKṛṣṇa一人だけを崇拝しているのではありませんekala-vāsudeva、いいえ。私たちはKṛṣṇaのエネルギーとともにKṛṣṇaを崇拝しなければなりません。丁度Kṛṣṇārjunaのように、KṛṣṇaとArjuna。Arjunaもエネルギーです。Rādhā-Kṛṣṇa,クリシュナの内的エネルギーと中間エネルギーです。 KṛṣṇaとはKṛṣṇaのエネルギーと共に意味します。Oṁ namo bhagavate vāsudevāya.このbhagavateとはエネルギーに満たされいることを意味します。bhagavānについては何度か説明してきました。Bhagaは豊かさ、vānは所有する者という意味です。Bhagavān. これがBhagavānという言葉の意味です。ですから、このBhagavānという言葉は、bhagavateと呼ばれます。この言葉は bhagavat、bhagavat-śabdaです。 ですから、bhagavateはこう言うのです、oṁ namo bhagavate vāsudevāya.Vāsudevāya, これは…、śabdaの第四の形、音のバイブレーションの形です。第四の形。ちょうどkṛṣṇāyaのようなものです。私が何かを捧げるとき、kṛṣṇāya, viṣṇave. 同じように、bhagavate, vāsudevāya. つまり、Śrīmad-BhāgavatamとはKṛṣṇaのことです。それ以外はありえません。これがkṛṣṇa-kathāです。Bhagavad-gītāもまた、kṛṇa-kathāです。Kathāは言葉を意味します。ですから、Kṛṣṇaによって語られるKṛṣṇaの言葉、それがBhagavad-gītāです。Bhagavad-gītāについて語られた言葉、それがŚrīmad-Bhāgavatamです。あるいは、Kṛṣṇaの献愛者について語られた言葉がbhāgavataです。bhāgavataには2種類あります。ひとつはこの本bhāgavataであり、もうひとつは献愛者です。彼もまたbhāgavataです。Caitanya Mahāprabhuは、bhāgavata para giya bhāgavata sthāneを勧めています:「あなたは bhāgavataのところに行って、bhāgavataである人からŚrīmad-Bhāgavatamを読みなさい。」そうでなければ、あなたは誤解するでしょう。Bhāgavata para giya bhāgavata sthāne. 引用:Śrīmad-Bhāgavatam 2.1.1

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    Śrī Vāmana Dvādasi: 主Vāmanadevaの現れ

    主Vāmanadevaの出現日は、シュリー・ヴァーマナ・ドヴァダシとして祝われます。今年は 2024 年 9 月 15 日です。以下は、シュリーマド・バガヴァタム(第8篇第18から23章まで)から抜粋した、主が小人の化身として過ごした遊戯の短い物語です。 主Vāmanadeva、小人の化身 主Vāmanadevaは、法螺貝、円盤、棍棒、蓮華を身につけてAditiの胎内からこの世にお現れになりました。その体は黒っぽく、黄色い衣をまとっておられました。主Viṣṇuは、Abhijit星が昇ったシュラヴァナ・ドヴァーダシー(Śravaṇa-dvādaśī)の吉兆な時にお現れになりました。その時、三界すべて(高位の惑星系、宇宙空間、この地球を含む)で、すべての半神、牛、ブラーフマナ、そして季節さえもが、神の出現によって幸せでした。そのため、この吉兆な日はヴィジャヤと呼ばれています。sac-cid-ānanda(Bs.5.1)の体を持つ至高人格神が、KaśyapaとAditiの息子としてお現れになったとき、両親はともに非常に驚きました。主は出現後、小人(ヴァーマナ)の姿をおとりになりました。 偉大な聖者たちは皆、歓喜の意を表し、Kaśyapa Muniを前にして、主Vāmanaの誕生日の儀式を執り行いました。主Vāmanadevaの聖なる糸の儀式の際、太陽神、Bṛhaspati、地球を司る女神、天の惑星の主宰神、母親、主Brahmā、Kuvera、7人のṛṣis(リシ)、その他によって主Vāmanadevaが称えられました。その後、Vāmanadevaは、Narmadā川の北側にあるBhṛgukaccha(ブリグカッチャ)と呼ばれる野原の供犠の場を訪問されました。そこでは、Bhṛgu(ブリグ)王朝のブラーフマナたちがヤッギャを行っていました。muñjaの麦わらで作ったベルトを締め、鹿皮の上着と神聖な糸を身につけ、手にはダンダと傘と水瓶(kamaṇḍalu,カマンダル)を持って、Vāmanadevaはバリ王の供儀の場にお現れになりました。その超越的で光り輝く存在に、僧侶たちは皆力を失い、席から立ち上がってVāmanadevaに祈りを捧げました。主Śivaでさえ、Vāmanadevaのつま先から出たガンジス川の水を頭に受けます。そのため、バリ王は主の足を洗った後、すぐに主の足から出た水を頭に受け、自分と先人たちが確かな栄光を受けたと感じました。それからバリ王は主Vāmanadevaの安否を尋ね、主にお金や宝石など主がお望みになるものを求めてほしいと頼みました。 主Vāmanadevaがバリマハーラージャに施しを乞う バリ・マハーラージャは、Vāmanadevaをブラーフマナの息子だと思い、何でもお好きなものをお望み下さいと言いました。すると、Vāmanadevaはヒラニャカシプとヒラニャークシャの英雄的な行動を称賛し、バリ・マハーラージャの生まれた家を称賛した後、王に3歩分の土地を懇願なさいました。バリ・マハーラージャは、この土地は取るに足りないものだったので、施しとして与えることに同意しましたが、シュクラーチャーリャは、Vāmanadevaが神々の友人であるViṣṇuであることを理解していたので、バリ・マハーラージャにこの土地を与えることを禁じました。シュクラーチャーリャはバリ・マハーラージャに約束を撤回するよう勧めました。彼は、他人を従わせたり、冗談を言ったり、危険に対応したり、他人の幸福のために行動したりするとき、人は約束を果たさなくても、何の罪もないと説明しました。この哲学によって、シュクラーチャーリャはバリ・マハーラージャがVāmanadevaに土地を与えるのを思いとどまらせようとしました。 バリ・マハラジャが宇宙を明け渡す シュクラーチャーリャの有益な助言を聞いた後、バリ・マハーラージャは思索にふけりました。宗教、経済発展、感覚満足の原則を維持するのは世帯主の義務であるため、バリ・マハーラージャはブラフマチャーリーとの約束を撤回するのは不適切だと考えました。ブラフマチャーリーに与えた約束に嘘をついたり、守らなかったりすることは決して適切ではありません。なぜなら、嘘は最も罪深い行為だからです。誰もが嘘に対する罪深い反応を恐れるべきです。なぜなら、母なる地球は罪深い嘘つきの重荷にさえ耐えられないからです。王国や帝国の拡大は一時的なものであり、一般大衆に利益がなければ、そのような拡大には価値がありません。これまで、偉大な王や皇帝は皆、一般大衆の幸福を考慮して王国を拡大しました。実際、一般大衆の利益のためにそのような活動に従事している間、著名な人々は時々自分の命を犠牲にすることさえありました。栄光に満ちた活動を行う者は常に生きていて、決して死ぬことはないと言われています。したがって、名声は人生の目標であるべきであり、良い評判のために貧困に陥ったとしても、それは損失ではありません。たとえこのブラフマチャーリーであるVāmanadevaが主Viṣṇuであったとしても、たとえ主が彼の施しを受け入れて再び彼を逮捕したとしても、バリ・マハーラージャは彼を妬むことはないだろうと考えました。これらすべての点を考慮して、バリ・マハーラージャは最終的に所有していたすべてのものを施しとして与えました。 すると主Vāmanadevaは、たちまち宇宙体へと自らを広げていきました。主Vāmanadevaの慈悲により、バリ・マハーラージャは主が遍在し、すべてのものが主の体に宿っていることを知ることができました。バリ・マハーラージャは主Vāmanadevaを、兜をかぶり、黄色い衣をまとい、シュリーヴァツァの印、カウストゥバの宝玉、花輪を身につけ、全身を装飾品で飾った至高のViṣṇuとして見ることができました。このように、その活動が素晴らしい至高人格主神は、1歩で地球の表面全体を覆い、その体で空を覆い、その腕であらゆる方向を覆いました。そして2歩目で上層惑星系全体を覆いました。そのため、3歩目で踏み出すことのできる空き地はありませんでした。 主によって逮捕されたバリ・マハーラージャ 二歩目で、至高人格神は宇宙の頂点にある惑星ブラフマローカに到達され、その美しさを足の爪の輝きで縮小なさいました。こうしてブラフマー神は、マリーチのような偉大な賢者達やすべての高位惑星の支配的な神々を伴って、主に謙虚な祈りと礼拝を捧げました。彼らは主の足を洗い、あらゆる道具を使って主を礼拝しました。リクシャラージャ、ジャンバヴァンはラッパを吹き、主の栄光を響かせました。 バリ・マハーラージャがすべての財産を奪われたとき、悪魔たちは非常に怒りました。バリ・マハーラージャは悪魔にそうしないように警告しましたが、悪魔たちは主Viṣṇuに対して武器を取りました。しかし、彼らは皆、主Viṣṇuの永遠の仲間によって打ち負かされ、バリ・マハーラージャの命令に従って、全員が宇宙の下層惑星に入りました。主Viṣṇuの目的を理解した主Viṣṇuの運搬人であるガルダは、すぐにヴァルナのロープでバリ・マハーラージャを捕らえました。バリ・マハーラージャがこのようにして無力な立場に追い込まれたとき、主Viṣṇuは彼に3番目の土地をお求めになりました。バリ・マハーラージャが約束を果たせなかったとき、主Viṣṇuはバリ・マハーラージャの決意と誠実さを評価されたので、主Viṣṇuは彼の居場所は天の惑星よりも良いスタラ惑星であると確定なさいました。 バリ・マハーラージャが命を捧げる バリ マハーラージャは非常に誠実な人でした。約束を守れなかったため、彼は非常に恐れていました。誠実さから逸脱した者は社会の目には取るに足らない存在であることを知っていたからです。高貴な人は地獄のような生活の結末に苦しむことはできますが、彼は真実から逸脱したことで中傷されることを非常に恐れています。バリ マハーラージャは、至高人格神から与えられた罰を喜んで受け入れました。バリ マハーラージャの王朝には、Viṣṇuに対する敵意のために、多くの神秘的なヨギよりも崇高な目的地に到達したアスラがたくさんいました。バリ マハーラージャは、献身的な奉仕に対するプラフラーダ マハーラージャの決意を特に覚えていました。これらすべての点を考慮して、彼はViṣṇuの第3歩目の場所として、布施のために自分の頭部を差し出すことにしました。バリ・マハーラージャは、偉大な人物たちが至高神を満足させるために家族関係や物質的所有物を放棄する様子にも注目しました。実際、彼らは主を満足させるために、ただ主の個人的な召使い・従者・しもべになるために、時には自らの命さえも犠牲にしました。したがって、バリ・マハーラージャは、先代のアーチャーリャや信者たちの足跡をたどることで、自分が成功したと感じました。 バリ・マハーラージャがヴァルナの縄に捕らえられ、主に祈りを捧げていると、祖父のプラフラーダ・マハーラージャが現れ、至高人格神が巧妙な方法で彼の財産を奪い、バリ・マハーラージャを救った様子を語りました。プラフラーダ・マハーラージャが同席する中、主ブラフマーとバリの妻ヴィンディヤーヴァリは至高主の至高性について語りました。バリ・マハーラージャは主にすべてを捧げていたので、彼らは彼の解放を祈りました。すると主は、非献身者の富の所有は危険であるのに対し、献身者の富は主からの祝福であると語りました。すると、至高主はバリ・マハーラージャに満足され、バリ・マハーラージャを守るために円盤を差し出し、彼とともにいることを約束なさいました。 半神たちが天界の惑星を取り戻す 偉大なる魂バリ・マハーラージャは、人生における最高の利益は、完全な服従をもって主の蓮華の御足のもとで献身奉仕を達成することである、と体験しました。この結論に固定し、心は恍惚とした献身で満たされ、目には涙が溢れ、彼は人格主神に敬意を表し、それから仲間とともにスータラとして知られる惑星に入りました。こうして、至高人格神はAditiの願いを満たし、インドラ神を再び座にお就かせになりました。プラフラーダ・マハーラージャはバリが拘束から解放されたことを知って、それからこの物質界における至高人格神の超越的な遊戯について説明しました。プラフラーダ・マハーラージャは、物質界を創造し、すべての人に平等であり、望みの木のように献身者に対して極めて寛大である至高主を称賛しました。実際、プラフラーダ・マハーラージャは、主は献身者だけでなく悪魔に対しても親切であると述べました。このようにして、彼は至高人格神の無限のいわれなき慈悲を描写しました。そして、手を合わせて主に敬意を表し、主の周りを巡礼した後、主の命令に従ってスタラ星に入りました。 主は、それからŚukrācāryaに、バリ・マハーラージャが供犠の儀式を遂行する際の誤りと矛盾点を説明するように命じました。Śukrācāryaは主の聖なる名前を唱えることで果報的な行為から解放され、どのように唱えることで束縛された魂のすべての過失を減少させることができるのかを説明しました。それからバリ・マハラジャの供儀を完了しました。すべての偉大な聖者たちは、インドラを天界に帰還させた主Vāmanadevaを、主インドラの恩人として受け入れました。彼らは、宇宙のすべての事柄の維持者として、至高人格神を受け入れました。非常に喜んだインドラは、仲間とともにVāmanadevaを自分の前に乗せ、自分たちの飛行機で天界に戻りました。バリ・マハーラージャの供儀の場で主Viṣṇuが素晴らしい活動をなさるのを見て、すべての半神、聖者、ピター、ブータ、シッダは、何度も何度も主を讃えました。 束縛された魂の最も縁起の良い働きは、主Viṣṇuの栄光ある活動について唱え、聞くことです。死に支配されている者は、地球上の原子の数を数えることができないのと同じように、至高人格神、Trivikrama、主Viṣṇuの栄光を測ることはできません。すでに生まれている者も、これから生まれる者も、誰もこれを行うことはできません。これは偉大な聖者Vasiṣṭhaによって歌われました。至高人格神のさまざまな化身における並外れた活動について聞いた人は、間違いなく高次の惑星系に昇格するか、あるいは故郷、つまり神のもとに連れ戻されます。

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    バクティ・ヤトラ – Spiritual tours to India

    インドの神秘的な経験 献身者の集まりで、インドの最も神聖な場所を体験. ヴリンダーヴァンこの旅のユニークさは、それがインドの経典ヴェーダの精神的伝統に来る献身者によってBhakti Yogaの活動としてされていることです 参加者全員がその文化にどっぷりと浸かり、完璧な体験をする機会です ひとりじゃないから 挑戦できる – 仲間と一緒だから、はじめてでも無理なく海外デビュー。実践型だから身に付く旅スキル – 現地集合、現地解散。航空券から宿探し、移動の手配まですべて自分たちで。旅のプロが現地でサポート出発前はもちろん現地では旅のプロが同行し、あなたの挑戦をサポート。 パッケージ 次回のツアー情報 Vrindavan, Pushkar, Jaipur 10 days 02/1 – 2/10 ツアー料金 – 97,000円(ツアー料金には、インド国内のガイド付き旅行、交通費、1日3食の食事、高級宿泊施設、ツアー前のオンライン講座、バクティ・ヨガの指導が含まれます)学生・新卒者はツアー料金25%割引(76000円) 暫定スケジュール 2/1 ジャイプール空港到着、プラサードム2 朝食後、プラサダム、ラーダ・ゴーヴィンダとゴーピナータ、ラーダ・ダモダール、ラーダ・ヴィノード参拝。
13:30 昼食 15:00 自由時間、ショッピング3 16:00 集合 
19:30~ プシュカル4自由時間、ショッピング5ヴリンダーヴァンへ、マトゥラー経由6 朝5時 ヴリンダーヴァンへ移動
9:00 ヴリンダーヴァン寺院ゲストハウス到着 チェックイン
ブランチ オリエンテーション
マトゥラー、ラーマナート寺院、マハーヴァーン寺院へ7 4:00 集合 
4:30~ ISKCON寺院にて早朝マンガラ・アラーティ参加、プラブパーダ・サマーディ参拝。
8:00 朝食後、
マドゥヴァナ、マンサローヴァル。バンディル・ヴァン(ラーダ・クリシュナ結婚の地)、ゴークル、ブラフマンド・ガート、ラヴァル、 ジャイト、ヤムナ川ボート乗船8 4:30~早朝寺院参拝。日中ヴリンダーヴァン巡礼。(ブラフマ・クンダ、ラーダ・ゴーキュラナンド、ラーダ・ラーマン)
ニディヴァーン、
セーヴァ・クンジ。
ロイ・バザールで買い物。
夕刻、寺院でキールタンに参加。9 朝のプログラムは上記と同様(カリヤ・ガート、ラーダ・ダモダル、ラーダ・シャヤムスンダル、寺院で昼食。
夕方 内部寺院 ボート乗船10 カミヤヴァン

ガウシャラ、
VCMキャンパス見学、信者協会。
時間があればゴヴァルダーンへ. 朝食後、バラサーナ巡礼へ、サンカリー・コーラ、ピリポクラ、ナンドガオン, 
8:00。朝食後、デリー空港へ。 Book Now…

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    クリシュナの献愛者になれば、クリシュナと一緒に暮らせる

    シュリーラ・プラブパーダによる講座 12月25日1973年, シュリーマド・バーガヴァタム(第1篇・第15章・第47-48節) Tad-dhyāna udriktayā. Dhyānaの意味は瞑想です。だからパーンダヴァたちは、いつもクリシュナのことを考えていた。食事をしている時も、座っている時も、寝ている時も、話している時も、戦っている時も、クリシュナ。これがクリシュナの意識です。アルジュナが戦っていたときも、そこにはクリシュナがいました。彼らがのドゥリョーダナと政治的な取引をしていたとき、そこにはクリシュナがいました。クリシュナは彼の友であり、いつも彼と話し、彼と泊まり、彼と寝、彼と食べています。

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    愛と信仰をもってクリシュナに仕えましょう!

    私たちの原則は、愛と信仰を持ってクリシュナに熱心に奉仕することです。そして必要なものは全て、何の困難もなくもたらされるでしょう。困難。 皆さんは誠実な信者なので、私は確信しています。あなた方は皆、誠実な献愛者ですから、活動を通してクリシュナの偉大な援助を感じていることでしょう。そして、奉仕すればするほど、クリシュナ意識の中で自分がいかに進歩しているかを知ることになるでしょう。同じ例を繰り返さなければなりませんが、空腹の人が食材を与えられると、自動的に飢えの満足、力強さ、喜びという3種類の兆候を感じます。ですから、このクリシュナ意識運動は、主への誠実な奉仕に基づいています。私たちは常にこのことを忘れてはならない、そしてそうすれば成功は確実です。 (Srila Prabhupada Letter, July 15, 1969)

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    ヴェーダの教え|シュリー・イーシャ・ウパニシャッド | 案内

    知的な人なら、人間の体は、何百万年ものあいだ輪廻を繰りかえした果てに得たものであることを自覚すべきです。物質界はときに海にたとえられ、人間の体はその海を渡るように作られた頑丈な船にたとえられます。さらにヴェーダ経典やアーチャーリャ(神聖な教師)は熟練した船長に、人間の体のいろいろな機能は、船が無事に目的地に着くのを助ける順風にたとえられます。このようなすばらしい便宜が与えられているのに、自己の悟りのために人生を充分に利用しない人は、ātma–hā(アートマ・ハー・魂の殺害者)と見なされます。「魂の殺害者は、無知の闇のもっとも深い部分に落とされ、永遠の苦しみを嘗める」と『シュリー・イーシャ・ウパニシャッド』ははっきり警告しています。 現代社会では、少年でさえ自分を完璧だと考え、年長者に敬意を払おうともしません。大学で教えられている誤った教育のために世界中の青年たちは、年長の人々の頭痛の種になっています。そのため、『シュリー・イーシャ・ウパニシャッド』は、無知の修養は真の知識の修養とは異なることを強く警告しています。 『シュリー・イーシャ・ウパニシャッド』は、一時的な恩恵しか与えられず、自らも自由ではない半神を崇拝して、困難を一時的に解決させようとすべきではない、と諭しています。すべてを魅了し、完璧な自由を授け、私たちをふるさと・神のもとへ導いて物質界から解放してくれる絶対人格主神、クリシュナを崇拝しなくてはなりません。 『シュリー・イーシャ・ウパニシャッド』は、生存競争に打ち勝つための片手落ちの計画は立てないよう私たちに教えています。だれもが生き抜くために悪戦苦闘していますが、物質自然の法則はじつに厳格であって、だれであろうとその自然の法則を超えることは許されません。永遠の命を手にいれるためには、神のもとへ帰る準備をしなくてはならないのです。 哲学者は労働者よりも優れ、神秘家はその哲学者よりもさらに優れていますが、あらゆる神秘的ヨーギーのうちでもバクティ・ヨーガ(bhakti-yoga)を実行し、つねに主へ奉仕する人物がもっとも優れているということになります。『シュリー・イーシャ・ウパニシャッド』 『シュリー・イーシャ・ウパニシャッド』 『シュリー・イーシャ・ウパニシャッド』は、私たちをこの完成の境地へ導いています。 1秒も無駄にすることなく、神聖 な活動ができるように自分の生活を設計すべきです。『シュリー・イーシャ・ウパニシャッド』は、私たちをそのような神聖な生活に導いてくれます。