クリシュナの献愛者になれば、クリシュナと一緒に暮らせる
シュリーラ・プラブパーダによる講座 12月25日1973年, シュリーマド・バーガヴァタム(第1篇・第15章・第47-48節)
Tad-dhyāna udriktayā. Dhyānaの意味は瞑想です。だからパーンダヴァたちは、いつもクリシュナのことを考えていた。食事をしている時も、座っている時も、寝ている時も、話している時も、戦っている時も、クリシュナ。これがクリシュナの意識です。アルジュナが戦っていたときも、そこにはクリシュナがいました。彼らがのドゥリョーダナと政治的な取引をしていたとき、そこにはクリシュナがいました。クリシュナは彼の友であり、いつも彼と話し、彼と泊まり、彼と寝、彼と食べています。
だから誰でもできるのです。クリシュナ意識はとても素晴らしいものです。アルジュナがしたように、またパーンダヴァたちがしたように、私たちが普段の生活でクリシュナと向き合うなら、どこに困難があるでしょうか。何の困難もありません。た
だ実践するだけです。その実践がbhaktyāである。ですから、tad-dhyāna udriktayā bhaktyāと言われています。パーンダヴァたちの献身があったからこそ、クリシュナはパーンダヴァの近くにいたのです。ナーラダ・ムニはパーンダヴァたちを次のように讃えました。「ギャニーとヨーギーでさえ到達することできない、しかし、あなた方の献身によってのみ、到達することができるのです、友人としてだけでなく、時にはあなたの命令を伝える者としても。パーンダヴァたちは、ドゥルヨーダナと交渉しているとき、ときどきクリシュナにこう頼んだ「この手紙を持って、ドゥルヨーダナに届けてください」。「はい、私が行きます」。そう、普通の小童です。そして、普通の戦車の運転手、Pārtha-sārathi。
なので、これは可能なのです。もし皆さんはクリシュナの献愛者になれば、この世でもクリシュナと一緒に暮らすことができます、顔を合わせて、クリシュナと話し、クリシュナと共に食事をし、クリシュナと共に踊ることができます。
現世でも。なぜなら、クリシュナは全能だからです、もし皆さんが本当にクリシュナの献愛者であるならば、クリシュナは皆さんと話し、皆さんと踊り、 皆さんと食事をするでしょう。ー全て。Premāñjana-cchurita-bhakti-vilocanena [Bs. 5.38]. 再びこのbhaktiです。bhaktiとは、プレマ、愛です。