Oṁ namo bhagavate vāsudevāyaの解説, BHAGWATAM, CHANTING、マントラ, KRISHNA, PRABHUPADA, SPIRITUAL MASTER, SPIRITUALITY, クリシュナ , クリシュナ意識, グル, シュリーマド・バーガヴァタム, シュリーラ・プラブパーダ, スピリチュアリテ, スピリチュアル

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    寝落ちクリシュナブック読書 | 毎日21:00ー21:30

    著者:尊師A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダからメッセージ もし皆さんが、物語のように見えるけれども、クリシュナ・ブックを読むだけで、生と死の繰り返しの束縛から解放されるのです。それはとても素晴らしいことです。なぜなら、クリシュナとは何かを理解し、ここに、janma karma me divyaṁ ye jānāti tattvataḥ [Bg. 4.9] と書かれています。説明されています。クリシュナ・ブックを真剣に読み、クリシュナを理解しようとする人は、きっと理解できる。クリシュナはとても親切です。少しでも信仰心をもって、クリシュナ本を読み始めると、クリシュナはとても喜んで下さります。 第7章から: バガヴァーン・クリシュナは、完全な富、完全な力、完全な名声、完全な知識、完全な美、完全な放棄という六つの富に常に満ちていらっしゃいます。主は完全で永遠な様々な化身の姿でお現れになります。これらの色々な化身の姿で主は様々な活動をなされたので、束縛された魂にとって主の活動は汲めども尽きぬ泉で、聞くにこと欠くことはありません。バガヴァッド・ギーターには、「ジャンマカルヤチャメーディヴャン」と記述されています。主の遊戯や活動は物質的なものではありません。私たちが物質的な考えで理解しようとしても、主の活動は理解出来るものではありません。しかし、そのような主の並外れた活動を聞くだけでも、束縛された魂は恩恵を得ることが出来ます。主の活動を聞くことは、主と交際することです。主がどのような活動をされたのかただ聞くことによって、私たちは超越な性質を向上させることが出来るのです。束縛された魂は、物語、演劇、小説といった形で他の束縛された魂のことについて聞きたいという性向を生まれながらに持っています。そのように他の人々のことを聞きたいをいう性向を、私たちは主の遊戯を聞くことに利用すればよいのです。そうすれば、超越的な性質を身につけることが出来るのです。クリシュナの遊戯はただ美しいだけではなく、私たちの心に大きな満足をもたらしてくれるのです。 長い間物質界にいると、私たちのハートには穢れが蓄積されるのですが、主の遊戯を聞く人はその穢れをたちまちに浄化することが出来ます。ハートに蓄積されたどのような穢れも、主の聖なる御名を聞くだけで浄化されると主チャィタンニャもお教え下さいました。自己を悟るためには様々な過程があります。献身奉仕の過程では聞くことが最も重要とされていますが、束縛された魂がその献身奉仕の過程を真剣に受け入れるなら、物質的な穢れは自然に浄化され、そして自分本来の立場を理解することが可能になります。このような物質的な稜れのために私たちは束縛されているのです。そしてその穢れが浄化されるやいなや、主に仕えるという生命体の本来の機能が目覚めるのです。至上主との永遠の関係を育むことによって、私たちは献身者と親しくなることが出来ます。誰もが主の超越的な遊戯を聞くよう努めるべきだ、とマハーラージ・パリクシットは実際的な経験から薦められました。それが本書『クリシュナ』の出版の目的です。そして読者の方々がこの書物を学ばれて、人生の最高目的を達成されることを願って止みません。 第14章から: 主クリシュナが牧童たちと遊戯されたこと、ヤムナーのほとりでクリシュナが少年たちと食事をされたこと、主ブラフマーが祈りを捧げたこと、これらはすべて超越的な話題です。これらを聞き、朗読し、唱える者は疑いなく精神的な望みをすべてかなえることができるでしょう。 第51章から: クリシュナの献身者はいつも主の超越的な活動を聞くことを熱望しています。主は 戦闘、誘拐、遁走などの活動を行われましたが、それらは絶対的段階にあるものなの で、全て超越的な活動です。献身者たちは超越的な関心を持ってそれらの話題に耳を 傾けます。純粋な献身者は主の超越的な活動を差別しません。純粋な献身者は服従的な姿勢で権威者から聞くことによって、 「シュリーマド・バーガヴァタム』に記述されているクリシュナの超越的活動を味わ います。純粋な献身者はそのような甘露を一滴たりとも拒否しません。     王女ルクミニーからの手紙です。 愛するクリシュナ、決して過たないお方、最も美しいお方よ。あなたの超越的な姿や遊戯を聞く人は、その耳を通じて御身の御名、名声、性質に没頭します。そのような 人の物質的な苦しみは全て消え去り、ハートの中にあなたの姿が焼き付けられます。 あなたへのそのような超越的な愛のために、そのような人はあなたをいつも自分自身 の内に見ることが出来ます。そのようにして、全ての望みがかなえられるのです。  第55ー56章から: シャマンタカの宝石の物語を聞く者、語る者、そしてただ思い出す者も、どのような中傷や不敬度な活動からも解放され、最高の完全平安を得ることが出来ると『シュリーマド・バーガヴァタム」に述べられています。 第65章から: クリシュナのチャクラによってヴァーラーナシーが破壊された物語は超越的で、人々 に吉兆をもたらします。信念を持ち、注意深くこの物語を語る者、聞く者は、すべて の罪の報いから解放されます。この物語をマハーラージ・パリークシットに語ったシュ カデーヴァ・ゴースワーミーが、そのことを保証しています。  第68章から: これらの遊戯は、全創造界の創造、維持、破壊の究極的な源でいらっ しゃる主クリシュナ以外には行うことが不可能であることをしっかりと理解すべきで す。主のドワーラカーでの遊戯に注意深く耳を傾ける人や、クリシュナ意識運動の説 教活動を支援する人は、解放の道を進むことが容易になり、主クリシュナの蓮華の御 足の甘露を味わいながら献身奉仕を行うことが出来るようになるのです。 第79章から: この物質界の束縛された魂は感覚満足の喜びに幸福 を求めようとしているので決して満足を得ることが出来ず、ハートの中は快楽を求め る思いに満ちています。しかし、主クリシュナの超越的な話を聞くならば自然と物質 的な感覚満足に左右されなくなるものなのです。知性ある人なら、そのような主の超 越的な話題を何度も繰返し聞くことを決して拒むことが出来ません。ただ聞くだけで 超越的な喜びに浸りきり、物質的な感覚満足に魅きつけられなくなるのです。 第84章から: 「偉大な賢者たちよ、主クリシュナの超越的な娯楽はすべて永遠であることを理解してください。それらは歴史上の出来事を語る普通の物語ではありません。そのような物語は至高人格主ご自身と同一です。したがって、主の娯楽についてのそのような物語を聞く人は誰でも、物質的存在の汚染から即座に解放されます。そして純粋な献愛者は、これらのナレーションを耳に入る蜜のように楽しんでいます。」そのような語りはヴィヤーサデーヴァの崇高な息子シュカデーヴァ・ゴスヴァーミーによって描写されており、それを聞く人は誰でも、また他の人に聞くためにそれを説明する人もクリシュナ意識になります。そして、クリシュナ意識のある人だけが、故郷に、神のもとに帰る資格を得るのです。

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    親愛なる弟子による説明

    「ロサンゼルスでは、多くの父親や母親が私のもとを訪れ、クリシュナ意識運動を世界中に広めたことへの感謝の気持ちを表してくれました。アメリカ人にとって、私がアメリカでクリシュナ意識運動を始めたことは非常に幸運だと言う人もいました。しかし実際には、この運動の本当の創始者はクリシュナ主自身です。この運動は遠い昔に始まり、師弟継承によって人類社会に伝えられてきたのです。もし私にこの点で何か功績があるとすれば、それは私個人のものではなく、私の永遠の精神的指導者である、オーム・ヴィシュヌパーダ・パラマハムサ・パリヴラージャカーチャーリヤ108シュリー・シュリーマド・バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・ゴースヴァーミー・マハーラージャ・プラブパーダの御恩によるものです。」

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    主イエス・キリストと至高主クリシュナの類似性について

    主イエス・キリストと至高主クリシュナ その1 世界で最も読まれている超越的であり、スピリチュアルな経典である『旧新約聖書』と『バガヴァット・ギーター』は、常に私達に大きな甘露の恩寵を与えてくれます。 この小論文は、主イエス・キリストと至高主クリシュナの福音が根本的に大きく一つであることを見出す為に役立つことが出来るでしょう。どうぞ、これらの主の吉兆なる恵みの教えが永久に広まり、全世界に主の崇敬と栄光の限りを築かんことを願って。 ハレークリシュナ・ハレークリシュナ・クリシュナ・クリシュナ・ハレー・ハレー ハレー・ラーマ・ハレー・ラーマ ラーマ・ラーマ・ハレー・ハレー ※聖書からの引用は2017年版の『新改訳聖書』に拠ります。BGに関してはシュリーラ・プラブパーダの『バガヴァット・ギーター あるがままの詩』を用います。 1.神の御名を賛美する -引用開始- 謙虚さ、傲慢でないこと、非暴力、寛容、実直 真正な精神の師に近づくこと、清潔さ、不動の精神 自制、感覚を満たす対象から心を引き離すこと 誤った自我意識を捨てること 生老病死を苦厄とみなすこと 無執着、妻子や家庭に愛着しないこと 快・不快の状況下でも冷静であること 私に対して不動かつ純粋な献身的姿勢であること 人里離れて独居を望むこと 世間の人々に執着を持たぬこと 自己を悟ることの重要性を認めること 絶対真理を哲学的に探求すること 以上が知識の本質であり これ以外はすべて無知であると私は明言する。 ―解説― ……クリシュナ意識は非常に簡単な方法であるからだ。 すべきことはただ「ハレークリシュナ・ハレークリシュナ・クリシュナクリシュナ・ハレーハレー/ハレーラーマ・ハレーラーマ・ラーマラーマ・ハレーハレー」を唱え、クリシュナに捧げた供物を食べ、『バガヴァット・ギーター』や『シュリーマド・バーガヴァタム』のような本について話し合い、神像を崇拝するだけである。これら4つのことは人を倖せにする。(バガヴァット・ギーター13.8・9・10・11・12及び解説) × × ×   だから、こう祈りなさい。 『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。私達の負い目をお赦し下さい。私たちも、私たちに負いめのある人を赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕(マタイによる福音書6・9~13)  -引用終わり-  主イエス・キリストは、ただ唯一絶対の至高人格主神たる全知全能の主に対して、純粋な愛によって仕える事を命じました(マタイ22・36~37)。それはバガヴァット・ギーターでも共通しています(BG12・6~7)。すなわち、バクティ・ヨーガ(信愛)、献身奉仕を教えたのです。  モーゼが授かった十戒には「神の御名をむやみに唱えてはならない」と書かれています(出エジプト20・7)。然し一方で、ダビデは全身全霊で神の御名を賛美せよとも命じています(詩編148・13)。これは一体どういうことでしょうか。全能の主は不完全だから矛盾した教えを出したのでしょうか。  違います。聖書は前後の文脈を注意して丹念に読むことが必要です。モーゼがこの十戒の石板を受け取る40日間の時、その事件は起こりました。全能の主に呼ばれて山に登ったきり一向に降りてこないモーゼに、エジプトを脱出したユダヤ人たちは呆れかえっていました。これだけ苦境の長旅を強いておいて、我々には何もしてくれない。そんな神を我々は信じない。そしてモーゼが降りてこない間、黄金の鋳造で子牛の偶像を創り、それを自分たちの全能の主として祀ったのです。  これには、あろうことかモーゼの兄であるアロンが率先して関わったのでした(主エジプト32・4-5)。そうです。あろうことか勝手に作り出した想像の空虚な神に“主”と名付けてしまったのです。  十戒の規則を改めて思い出してください。むやみに神の名を唱えてはならない。それは、我々人類が神の御名を口にしてはいけないというものではありません。全能の主唯お一人以外に神は無く、絶対的な至高人格神は存在しない。それ以外の神に対して、これこそが真なる全能の主であると勝手に名付けて宣言し、崇拝してはならないと命じているのです。  前述の主イエス・キリストの命じた祈りは、通称「主の祈り」といわれます。世界中のキリスト教徒(クリスチャン)達は毎週、いや、毎日唱えています。キリストは一貫して父なる創造主がもたらした規則を完璧に守りながら、当時の時代に新たな規則をもたらしたのです。  インドでも同じことが起ります。シュリー・チャイタンニャ・マハープラブです。彼は15世紀のインドに降誕し、神の御名を唱えて賛美するサン・キールタン運動を開始しました。『バガヴァット・ギーター』にもありますが、時代によって、求められる宗教的原則は規定されます。 -引用開始- わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5・17) × × ×   ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。 それは律法の下にある人々を獲得するためです。 律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが――律法を持たない者のようになりました。 それは律法を持たない者を獲得するためです。(Ⅰコリント9・20-21) × × ×   七四 このカリ時代は、聖なる御名の唱和以外の宗教的原則はない。これは全ヴェーダ賛歌の真髄である。これは全経典の意味である。(クリシュナ・ダース・カヴィラージ・ゴースワミによる『シュリー チャイタニャ チャリタムリタ』アーディー・リーラー第一巻 第七章 第七四節)  -引用終わり- 2.三位一体とクリシュナ意識 -引用開始- 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずできたものは一つもない。(ヨハネ伝1・1-3)…

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    Kartik Month カーティク

    「Dāmodaraというのは、Kṛṣṇaの別名です。Dāmodara寺院、つまりRādhā-Dāmodara寺院はVṛndāvanaにあり、私はそこに滞在していました。今でも私には2つの部屋があります。このDāmodaraの説明ですが…Dāmodara 月がやって来て、この10月の18日から始まります。その日から、18日から11月17日までの1ヶ月間、Dāmodara-vrataを行います。すべきことは、夕方、正に御神像の面前で蝋燭を捧げることです。小さな蝋燭を皆さん全員で。部屋の中でなく、部屋の外でです。Dāmodarastakaつまりnamāmisvaram を唱えます。それは私たちの歌集にすでに印刷されています。これがDāmodara-vrataです。」。                                                                                 Srila Prabhupada Lecture, Mayapur, October 11, 1974 カーティク月はヴェーダ太陰暦の8月で、この月に有名なクリシュナのダモーダラ遊戯が行われたため、ダモーダラ月とも呼ばれています。 この月は非常に縁起の良い月で、毎晩、人々はクリシュナにギー・ランプを捧げ、寺院全体が灯されたランプで飾られるのです。   この月、献身者はクリシュナの子供の姿を愛情を込めて拝みます。 金細工が熱を帯びて輝くように、とても美しい人がギーランプで拝まれると、その美しさがますます引き立つのです。   こうして、献身者は毎日ダモーダラ月間を祝っているのです。 スリラ・プラブパーダとダモーダラとヤショーダ・マイヤの写真を祭壇に置く ギー・ランプを用意する。ギーランプを用意するのが難しい場合は、オイルランプやろうそくを使ってもよい。 シライラ・プラブパーダのアルティをすることから始め、次にチャイタニャ・マハプラブ、そしてダモーダラとマザー・ヤショーダのアルティをすることです。 このように、ランプを足もとの方を見て4回、お腹の方を見て2回、顔の方を見て3回、全身で7回回転させながらアーティを行います。 アルティの前に次のような祈りを歌い、主のダモーダル遊戯を思い出します。 Śrī Dāmodarāṣṭakaṁ  シュリー・ダーモーダラースタカム作詞:サティヤヴラタ・ムニ ​ (1) ナマーミーシュヴァラム サッチ アナンダ ルーパン   namāmīśvaraṁ sac-cid-ānanda-rūpaṁ ラサッ クンダラン ゴクレ ブラージャマナン lasat-kuṇḍalaṁ gokule bhrājamanam ヤショダー ビヨルークラ ダーヴァマーナン yaśodā-bhiyolūkhalād…