現代のヨガは、”まやかし”に過ぎない
ヨガは、今日人々が注目している人気業界ですが、「ヨガ」という言葉の由縁は古代のヴェーダ文献にあるのです。ヨガの技法はヴェーダ文献の中でサンスクリットのマントラやシュローカ(経典)の形式で説明されています。
ヴェーダ文学では、ヨガを“Yoga indriya samgraham”、「ヨガの目的は、感覚を制御すること」と説明しています。
シュリーラ・ブラブパーダが法話のなかでヨガについて説明なされています。
感覚満足に中毒になっている人々には、ヨガ・システムが適しています。ヨガ・システムは、感覚満足のためにあらゆる馬鹿げたことをしたり、ひたすら座って瞑想をするようなことではありません。これは、見事なほどのでっちあげです。無意味です。ヨガ・システムの第一の目的は、感覚を制御することです。ヤマ「日常生活において行うべきではないこと」、ニヤマ「日常生活において行うべきこと」、この二つを最初に念頭に置きます。ヨガ実践には八支則があります。ヤマ、ニヤマ、アーサナ、ディヤーナ、ダーラナ、プラーナヤマ、プラティヤハラ、サマーディの8つです。
まず最初に、この章(バガバッドギーター第6章)でお話したいことをお伝えします。それは「主クリシュナ御自身がヨガ・システムとは何かを説いている」ということです。クリシュナは、「最初に感覚を満足させることの欲望を放棄しなければ、誰もヨギになることは出来ない」と言っています。感覚満足に走り耽っている人は、論外です。そんな人はヨギではありません。ヨギになることは出来ません。
ヨガ・システムは、禁欲であることを厳しく定めています。性生活を行ってはいけないのです。それこそがヨガ・システムです。性生活を楽しんでいては誰もヨギにはなれません。いわゆるヨギと呼ばれる人たちがあなた方の国を訪れてこう言うことでしょう。「あなたがしたいことは何でもしてもよいですよ。瞑想をしなさい。私があなたにマントラを授けましょう。」これらは、すべてノンセンス、馬鹿げています。権威ある文献でこう伝えられています。「最初に感覚満足の欲望を放棄しなければ、誰もヨギになることは出来ない」これが、最初の条件なのです。
残念なことに、ヨガのこういった理解は、現代のヨガ指導者のなかで生徒に正しく伝えれる人はいないでしょう。しかし、それは、至高人格神クリシュナによりバガバッドギーターの中で説かれているのです。ヨガについてはバガバッドギーターとヴェーダ文学に説明されており、ヨガという言葉の由来はそこから来ています。
実際に、感覚の衝動から解放された段階にまで高められていない人は、ヨガにおいて成功しているとはみなされません。
権威ある経典に説明されているヨガについて、ヨガとは何か、さらなる理解を深めていきましょう。
ラヴェティナンダナ:
第3節にこうあります。
「8段階のヨーガは初心者にとっては行為することがその方法でありすでに高められた者にとっては 一切の物質的行為をやめることがその方法である。」
プラブパーダ:
そのとおりです。二つの段階があります。最初のひとつは、ヨガを実践することで完璧なプラットフォームに到達する初心者向けの段階であり、もう一つは、その完璧なプラットフォームに到達した人たちの段階です。完璧なプラットフォームに上がることには時間がかかりますから、ひたすら実践に励み、たくさんの課題をこなしていきます。アーサナシステム、ヤマ、ニヤマなどを実践していくのです。一般的に、あなた方の国には多くのヨガ組織がありますし、そこではアーサナシステムを導入しています。アーサナシステムでは、どのように座って、さまざまなポーズをとるかを教えますね。
これは役に立ちます。しかしこれは、プラットフォームに上がるまでのプロセスにすぎません。これらはシンプルな方法なのです。真の完璧なヨガとは、それらの体を動かす体操のような方法とは異なるのです。ヨガには二つの段階があります。ひとつは、完璧なプラットフォームまで上がろうとしている人たちの段階、もう一つは完璧なプラットフォームに到達した人たちの段階です。
続けましょう。
ラヴェティナンダナ:
第4節にはこう書かれています。
「すべての物資に対する欲望を捨て感覚を喜ばせるために行為せず 結果を求めず行動する人こそヨーガの達成者と呼ぶべきである。」
プラブパーダ:
そうですね。これは、ヨガ・システム、ヨガ実践の完璧なる段階です。ヨガの達成者とはどういう意味でしょうか。ヨガとは「つながる」という意味です。たとえば、この指が体から離れたと仮定してください。あるいは、指ではなく、機械の部品としましょう。機械から部品が離れた場合、なんの役にも立ちません。機械とつながった途端に、その部品は様々に機能していきます。正常に稼働します。それこそがヨガなのです。つながっている、ということです。
同様に、私たちはそれぞれに個があります。これが物質的な活動であったり、果報的な活動であったりしますが、ただ「いろんな活動を行いながら人生という時間を浪費しているだけである」と説明されているのです。バガバッドギーターに、ムーダつまり愚かである、と説明されています。なぜなのでしょうか。「あの大成功しているビジネスマンが、愚かですって?彼は日々数千ドル稼いでいるんですよ。」と思われるかもしれません。しかし、ムーダつまり愚かであると説明されているのです。彼らは懸命に働きますが、しかし何を楽しんでいるのでしょうか。彼らが行っているのは、懸命に働いた分だけ、食べて寝て、性行為をしているだけです。それだけです。
日々数百万ドルを稼ぐ男がいるとします。彼は、数百万人の女性と性行為が楽しむことが出来るでしょうか。不可能でしょう!彼の生殖機能は、一日10ドルを稼ぐ人の生殖機能と同じくらいでしょう。そう、彼の生殖機能は、一日10ドル稼ぐ人と全く変わりはないのです。その男は、「私の人生の快楽の大きさは、一日10ドル稼ぐ男の快楽の大きさとまったく同じだ」とは思わないでしょうが。しかし、そのうち自問自答するのです。「私は懸命に働いて一日数百万ドルを稼いでいる。なぜそんなことして自分のライフエネルギーを無駄にしているんだろう。」お分かりですか?彼らは「愚か者」と呼ばれるのです。
ヨガは、身体の健康のためと減量のために行うフィットネスとはまったく異なります。ヨガは、ずっとそれ以上のものなのです。ヨガのプロセスに完全に従うことによって、至高の存在であるクリシュナとつながり、あらゆる感覚を克服することができるのです。これが、人間の生涯における最も重要な果たすべきことだと言えます。なぜなら、人間の生涯において唯一可能なことだからです。人は、高い知性を活かして、バクティ・ヨガを行い、自己実現を探求し、神と自分との関係を探求して行くことができます。これこそが、ヨガの正しい目的なのです。ヨガという言葉は、つながること、つまり、クリシュナすなわち至高の魂とつながることを意味しているのですから。