Janmashtmi 2023
janmashtamiインドのスピリチュアルなお祭り 2023/9/2(土) クリシュナ神の生誕祭 キルタン (歌うヨガ)11:00〜 マントラ瞑想&自己を理解する 12:30〜 食べるヨガプラサーダムランチ 13:30〜 プラブパーダの手紙の朗読 14:30〜 キルタン & ダンス 15:15〜 11:00-16:00 参加費- FREE(ご希望の方はいくらでもドネーション) 登録フォーム: Loading…
janmashtamiインドのスピリチュアルなお祭り 2023/9/2(土) クリシュナ神の生誕祭 キルタン (歌うヨガ)11:00〜 マントラ瞑想&自己を理解する 12:30〜 食べるヨガプラサーダムランチ 13:30〜 プラブパーダの手紙の朗読 14:30〜 キルタン & ダンス 15:15〜 11:00-16:00 参加費- FREE(ご希望の方はいくらでもドネーション) 登録フォーム: Loading…
10 Offenses to be avoided while chanting the holy names of Krishna【主の聖なる名前を唱えることに関する10の注意事項】
Śrī Śrī Gurv-aṣṭaka シュリー シュリー グルヴァシュタカ作詞:ヴィシュヴァナタ・チャクラヴァルティ・タクーラ (1)サムサーラ ダーヴァーナラ リーダ ロカ saḿsāra-dāvānala-līḍha-loka-トゥラーナーヤ カールニャ ガナーガナトヴァンtrāṇāya kāruṇya-ghanāghanatvamプラープタシャ カリャーナ グナールナヴァシャprāptasya kalyāṇa-guṇārṇavasyaヴァンデ グロー シュリー チャラナーラヴィンダンvande guroḥ śrī-caraṇāravindam (2)マハープラボー キールタナ ヌリティヤ ギータmahāprabhoḥ kīrtana-nṛtya-gīta-ヴァデートゥラ マーデャン マナソ ラセーナvāditra-mādyan-manaso rasenaローマーンチャ カンパーシュリ タランガ バージョーromāñca -kampāśru-tarańga-bhājoヴァンデ グローウ シュリー チャラナーラヴィンダンvande guroḥ śrī-caraṇāravindam (3)シュリー ヴィグラハーラーダナ ニティヤ ナーナーśrī-vigrahārādhana-nitya-nānā-シュリンガーラ タン マンディラ マールジャナーダウśṛńgāra-tan-mandira-mārjanādauユクタシャ バクターンシュ チャ ニユンジャト ピyuktasya bhaktāḿś ca niyuñjato ‘piヴァンデ グロウ シュリー チャラナーラヴィンダンvande guroḥ śrī-caraṇāravindam
ブラフマー・サミータ ブラフマー・サミータ詠唱ワークショップ。 チャンティング・ワークショップへの参加をご希望の方は、このフォームにご記入ください. Loading… 1 īśvaraḥ paramaḥ kṛṣṇaḥ sac-cid-ānanda-vigrahaḥ anādir ādir govindaḥ sarva-kāraṇa-kāraṇam イーシュヴァラハ パラマハ クリシュナハ サッ・チッド・アーナンダ・ヴィグラハ アナーディル アーディル ゴーヴィンダハ サルヴァ・カーラナ・カーラナム ゴーヴィンダとして知られるクリシュナは、至高主です。主は永遠の至福に満ちた精神的なお体を持ち、あらゆるものの根源でいらっしゃます。 Ch5 -29 cintāmaṇi-prakara-sadmasu kalpa-vṛkṣa- lakṣāvṛteṣu surabhir abhipālayantam lakṣmī-sahasra-śata-sambhrama-sevyamānaṁ govindam ādi-puruṣaṁ tam ahaṁ bhajāmi チンターマニ・プラカラ・サドマス カルパ・ヴリクシャ ラクシャーヴリテーシュ スラビール アビパーラヤンタム ラクシュミー・サハスラ・シャタ・サンブラマ・セーヴャマーナム ゴーヴィンダム アーディ・プルシャム タム アハム バジャーミ 私は原始の主ゴーヴィンダを崇拝いたします。主は精神的な宝石で建てられた家に住み、何百万もの望みの木に囲まれ、大きな尊敬と愛を持って何百、何千ものラクシュミーやゴーピーたちに仕えられながら、牛の世話をして、あらゆる望みを叶えておられます。 30 veṇuṁ kvaṇantam aravinda-dalāyatākṣam- barhāvataṁsam asitāmbuda-sundarāṅgam kandarpa-koṭi-kamanīya-viśeṣa-śobhaṁ govindam ādi-puruṣaṁ tam ahaṁ bhajāmi ヴェーヌム クヴァナンタム アラヴィンダ・ダラーヤタークシャム バルハーヴァタンサム アシターンブダ・スンダラーンガム カンダルパ・コーティ・カマニーヤ・ヴィシェーシャ・ショーバム ゴーヴィンダム アーディ・プルシャム タム アハム バジャーミ 私は原始の主ゴーヴィンダを崇拝いたします。主はフルートを吹くことに長け、蓮の花びらのように若々しく美しい目と孔雀の羽根で飾られた頭を持ち、青い雲の色合いを帯びた美しいお姿と、その独自の愛らしさで、何百万ものキューピッドを魅了していらっしゃいます。 31 ālola-candraka-lasad-vanamālya-vaṁśī-…
マハラジャ・ユディシュティルの理想王国-完璧な王 誰もが偉大な叙事詩『マハーバーラタ』について耳にしたことがあるに違いない。5000年前、この惑星の人々がどれほど幸せだったかを理解しよう。 Srimad Bhagvatam 1.10.4 解説から 経済発展の基本原則は土地と牛です。社会に必要なものは、穀物、ミルク、鉱物、衣服、木材などで、だれでも、体の要求を満たすためにこのような物資が必要とされます。肉、魚、鉄の道具や機械などが必要ではないことはあきらかです。マハーラージ・ユディシュティラの統治時代、世界には雨が規則的に降っていました。雨は人間に支配できません。天国に住むインドラデーヴァは雨を支配し、また主の召使いでもあります。王が、そして王に統治される臣⺠が主に服従すれば、空から規則的に雨が降り、その雨が大地のさまざまな生産物を作りだしてくれます。規則的な雨は穀物やくだものを豊富に作りだし、また星々の影響力と相まって、貴重な宝石や真珠が作りだされます。穀物や野菜は人間や動物の豊かな食料となり、よく肥えた牛は、気力や活力を供給するミルクを私たちに豊富に提供してくれます。十分な牛乳、穀物、くだもの、綿、絹、宝石などがあったら、映画や売春窟、屠殺場がいるでしょうか。映画、車、ラジオ、肉、ホテルなど、そのような不自然なぜいたくな生き方がはたして必要でしょうか。現代文化は、個人と国家が争う原因だけを作りだした、とは言えないでしょうか。平等とか同胞愛を高めているとはいっても、そのじつ、個人の気まぐれから多くの人を悲惨な工場や戦場に駆りだしているのではないでしょうか? この節にあるように、牛たちの乳房はミルクを豊かに含み、そして幸福感につつまれていたため、あふれだすミルクで牧草地を濡らしていました。ですから、牛たちには牧草地でたくさん草を食べさせて幸せに暮らせるよう見守ってあげる必要があると思いませんか? 人間の身勝手な目的で牛たちを殺す必要がどこにあるのでしょう。混ぜ合わせて調理すれば何百何千というおいしい料理が作られる穀物、くだもの、ミルクで満足すべきではありませんか。なにも悪いことをしていない動物たちを殺す屠殺場が、どうして世界中に作られているのでしょう。マハーラージャ・パリークシットの孫のマハーラージ・ユディシュティラは、広大な王国を旅していたとき、⿊い肌の人間が牛を殺そうとしているのを見つけました。王はすぐにその虐殺者を捕らえ、十分に罰しました。王や国の指導者は、自分では身を守ることのできないかわいそうな動物たちの命を守るべきではないでしょうか。殺すのが人間性でしょうか? 動物も国⺠ではありませんか? 国⺠なら、なぜ屠殺場で組織的に殺されるのが許されるのでしょう? それを平等、同胞愛、非暴力とでも言うのですか?.ですから、この現代的・先進的・文化的といわれる政府と比べれば、マハーラージ・ユディシュティラのような君主制は、動物を殺したり、動物以下の人間が、別の動物以下の人間に投票で選ばれたりするような⺠主主義よりもはるかに優れていることがわかります。私たち物質自然界の生物です。『バガヴァッド・ギーター』では、主がその種を与えた父親で、物質自然があらゆる種類の生物の⺟親である、と言われています。ですから、⺟なる物質自然は、父なる全能者・シュリー・クリシュナの恩寵をとおして、動物にも人間にも十分な食糧を用意しています。人間は、他の生物たちの兄です。動物たちよりも優れた知性が与えられ、自然の法則や全能の父の教えが理解できます。人間文化は自然界の産物に依存すべきであり、倒錯した贅沢と感覚満足のためだけに経済発展をむやみに求め、世界を忌まわしい貪欲と権力の錯乱状態に陥れてはなりません。それでは犬や豚の生活と変わりがないのです。 Srimad Bhagvatam 1.10.5 から 川、海、丘、山、森、つる草、薬草などが、季節をとおして、自分たちに課せられた税として王に余るほどに貢献した。 要旨解説 マハーラージ・ユディシュティラはアジタ(ajita)完全無欠の主に守られていたため、この節の説明のように、主の所有物、すなわち川、海、丘、森などがすべて喜びに満ち、各自の税として王に自らをささげました。成功の秘訣は、至高主の保護に身をまかせることにあります。主の許しがなければなにも達成できません。道具や機械の力に頼って努力して経済を発展させても、それですべてが満たされるわけではありません。至高主の許可が必要なのであり、それがなければ、どれほどの道具を使ってもすべては失敗するばかりです。成功の究極原因はダイヴァ(daiva)・至高者です。マハーラージ・ユディシュティラのような王は、「王とは一般大衆の幸福のために働く至高主の代理者である」ということをよく知っています。結局、国は至高主のものです。川、海、森、丘、薬草など、どれも人間が作りだしたものではありません。すべて至高主の創造物であり、私たちは、主への奉仕のために主の所有物を使うことを許されているのです。よく口にされるスローガンは、「すべては人々のためにある」と謳われ、政府も人⺠のために、人⺠によって動かされています。しかし、神の意識と人間生活の完成にもとづいて、つまり神の所有物を共有するという神聖な共産主義にもとづいて新しい人間社会を作りだすためには、世界はマハーラージ・ユディシュティラやマハーラージャ・パリークシットのような王の足跡に従わなくてはなりません。主が配慮しているからこそ世界にはすべてが十分にあり、人間同士の敵意、動物と人間の敵意、あるいは動物と自然の敵対もなく、それらを正しく使って快適に暮らすことができます。主の支配はすみずみに行き届き、主が満足すれば自然界のすべても満足します。川は豊かに流れ、土地を肥やします。海は十分な量の鉱物、真珠、宝石を産出します。森は十分な木材、薬草、野菜を提供し、さまざまな季節は私たちがくだものや花を豊富に生産できるよう力を貸してくれます。工場や道具に頼るという不自然な生活は、膨大な資金を使って限られた人々だけに幸福を提供します。大衆の力が工場での生産に使われ、自然な産出が妨げられるために、大衆は幸福になれません。人々は適切な教育を受けていないために、自然の資源を搾取しながら、他人から与えられた関心事を満たすために働いており、その結果、個人と個人、国家と国家のあいだで深刻な競争が起こっています。主の訓練を受けた代理者による正しい管理体制は、いまどこにもありません。私たちは、この節の記述を照らしあわせて現代文化の欠陥を調べ、マハーラージ・ユディシュティラの足跡に従い、そして人間社会にある穢れを清めて時代錯誤を取りはらわなくてはなりません。 Srimad Bhagvatam 1.10.6 から 王にまったく敵がいないために、どの生物も、心の苦しみ、病気、酷暑酷寒に乱されることがなかった。 要旨解説 人類には暴力をふるわない、そのいっぽうで哀れな動物の殺戮者や敵になるのは悪魔の哲学です。現代人は動物たちをないがしろにし、そのために哀れな動物たちはいつもおびえています。哀れな動物たちの心の動きは人間社会にのしかかり、人間社会は個人的・集団的・国家的規模の寒々しい、そしてただならぬ緊張感にさらされています。マハーラージ・ユディシュティラの時代には、従属する関係にあった国はありましたが、1つの国名のもとで治められていました。全世界が統一され、訓練を受けたユディシュティラ王のような人物が君臨し、住⺠をあらゆる不安、病気、酷暑酷寒から守っていました。経済的に恵まれていただけではなく、だれもが健康で、自然の力に苦しめられることなく、他の生物からの危害もなく、体や心のために苦しめられることはありませんでした。ベンガル語のことわざでは、邪悪な王が国を破滅させ、悪妻が家族を破滅させる、と言われています。この真理はこの節を見ても明らかです。王は敬虔で、神や聖者に従順で、だれの敵でもなく、主の代理者として認められ、だからこそ主に守られているため、王の保護下にあるすべての国⺠は主に守られ、さらに主の権威ある代理者に直接守られていました。敬虔で主 に認められていなければ、自分に従う人々を幸せにすることはできません。人間と神、人間と自然のあいだには完全な協調関係があり、互いに助けあえば、ユディシュティラ王がしめしたように、世界は幸福・平和・繁栄につつまれます。いまでは当然のようにおこなわれている互いを食い物にする風潮は、社会に苦しみを作りだすだけです。 このスリマッド・バグヴァタムについてもっと知りたい? 世界はいま、人類共通の理念に根ざした平和、友好関係、繁栄において一つになるための手がかりを必要としています。その手がかりをしめすのが『シュリーマド・バーガヴァタム』です。この書物が、全社会をふたたび崇高な世界に戻す文化的な教えを提示しているからです。『シュリーマド・バーガヴァタム』は、学校や大学でも取りいれられるべき書物です。 私たちは毎週末、スリマッド・バグヴァタムについての勉強会を行っています。 クラブハウスアプリからご参加ください。 Loading…
数珠でハレ・クリシュナ・マントラを唱える方法
聖木トゥラシーの崇拝 Sri Tulasi Pranama シュリー トゥラシー プラナマヴリンダーヤイ トゥラシーデヴャイ プリヤーヤイ ケシャヴァシャ チャvṛndāyai tulasī-devyai priyāyai keśavasya ca ヴィシュヌ バクティ プラデー デーヴィ サチャヴァチャイ ナモ ナマハviṣṇu-bhakti-prade devi satyavatyai namo namaḥ Sri Tulasi Kirtana シュリー トゥラシー キールタナ (1) ナモー ナマハ トゥラシー クリシュナ プレーヤシー ナモー ナマハnamo namaḥ tulasī kṛṣṇa-preyasi namo namaḥ ラーダー クリシュナ セヴァー パーボ エイ アビラーシーrādhā-kṛṣṇa-sevā pābo ei abilāṣī (2) イエー トマーラ シャラナ ローイ タラ ヴァンチャ プールナ ホイ ye tomāra śaraṇa loy, tara vāñchā pūrṇa hoyクリパー コリ コロ ターレ ヴリンダーヴァナ ヴァーシkṛpā kori’ koro tāre vṛndāvana-vāsi (3) モーラ エイ アビラース ヴィラース クンジェ ディオ ヴァーサmora ei abhilāṣa, vilāsa kuñje dio vāsa ナヤネー ヘーリボ サダー ユガラ ルーパ ラーシnayana…
チャトゥルマースィヤ(Chaturmasya)期間は、アーシャーダ月(6月~7月)に始まり、カルティカ月(10月~11月)に終わります。チャトゥルマースィヤとは「4か月」という意味で、この間はヴィシュヌ神が眠っているとされています。
一部のヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ信仰者)は、アーシャーダ月の満月からカルティカ月の満月までチャトゥルマースィヤを守ります。別の伝統では、太陽暦に従いシュラーヴァナ月からカルティカ月までとする場合もあります。どちらの場合も、この期間はインドの雨季にあたります。チャトゥルマースィヤは、どの身分の人も守るべきとされており、グリハスタ(家庭者)でもサンニャーシ(出家者)でも構いません。この4か月間の誓願の本来の目的は、感覚的な享楽を最小限に抑えることにあります。
Srilla prabhupada について 尊師A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダは、1896年、インドのカルカッ タで、この世界に生を受けました。1922年、後に自らの精神指導者となるシュリーラ・バ クティシッダーンタ・サラスヴァティー・タークラにカルカッタで出会います。バクティ シッダーンタ・サラスヴァティー・タークラは著名な宗教学者で、インド国内で64箇所の ゴウディーヤ・マタ(ヴェーダに基づく組織)を設立していました。師はアバイ・チャラ ンという名のこの教養ある⻘年に好感をいだき、ヴェーダ知識を世に広めるために一生を 捧げるよう勧めました。シュリーラ・プラブパーダはこの聖者を仰ぐ従者となり、11年後 の1933年、正式に入門式を受けて弟子になりました。 二人がはじめて出会ったとき、シュリーラ・バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・ タークラは、英語でヴェーダの知識を広めるよう彼に助言しました。それ以来、シュリー ラ・プラブパーダは『バガヴァッド・ギーター』の注釈書を書き、自著をとおしてゴウデ ィーヤ・マタを支援し、1944年には英語の隔週雑誌『バック・トゥ・ゴッドヘッド』の自 費出版を始めました。執筆、編集、ゲラ刷り校正、さらにはできあがった雑誌の配布など、 すべてを一人で実⾏し、まさに孤軍奮闘の布教活動をつづけました。この雑誌は現在、⻄ 洋の弟子たちに受けつがれ、出版されています。 1950年に家族生活を離れたあと、研究と執筆に専念するためにヴァーナプラスタ(隠退) の階級を受けいれて聖地ヴリンダーヴァンへ旅立ち、由緒ある歴史を持つラーダー・ダー モーダラ寺院で質素に暮らし、深遠な研究と著作に打ちこみました。1959年には放棄階級 (サンニャーサ)を受けいれ、ラーダー・ダーモーダラ寺院で一生の傑作にとりかかりま す。それは18,000の節からなる『シュリーマド・バーガヴァタム』(『バーガヴァタ・プ ラーナ』)の翻訳・解説書です。同時期にEasy Journey to Other Planets(『惑星への自由 旅⾏』)も著わしています。 『シュリーマド・バーガヴァタム』を3巻出版したあと、1965年9月、師から託された 使命を果たすために合衆国へ渡航しました。その後も執筆をつづけた師は、権威ある解釈 を付した訳書、インドの古典的哲学・宗教書に関する概説研究書を世に紹介し、その数は 50冊以上にのぼります。 初めてアメリカの土を踏んだとき、所持金はほとんどありませんでしたが、約1年間の 苦闘を経て、1966年7月にクリシュナ意識国際協会を設立しました。1977年11月14日に 他界するまで、この協会を指導しながら、100以上のアーシュラマや学校、寺院、研究所、 農場などを保有する世界的な組織へと育てあげました。 1972年、テキサス州のダラス市にグルクラ(gurukula)校を設立することで、ヴェーダ の教えに基づいた初級・中級の教育体制を⻄洋に導入しました。以後、弟子たちは合衆国 内、そして他の国々に同様の学校を建設しました。 シュリーラ・プラブパーダは、インドでも大規模な文化施設の建築を弟子たちに指示し ています。中でも、精神的都市として計画されたシュリーダーマ・マーヤープラの中心施 設は、⻑期にわたる大規模建設計画として実施されることになっています。ヴリンダーヴ ァンには、壮麗なクリシュナ・バララーマ寺院、国際迎賓館、グルクラ、シュリーラ・プ ラブパーダ記念館、展示館などが建設されました。ムンバイでも大規模な文化・教育セン ターが設立され、また別の計画として、デリーやバンガロール、そしてインド国内の他の 主要都市にも寺院が建設されることになっています。 しかし、このような貢献の中でも、シュリーラ・プラブパーダの最大の偉業はその著書 にあります。権威に基づいた深淵かつ明晰な解説は各界の学者から高い評価を受け、多数 の大学で研究資料として使われています。尊師の書籍を発⾏するために1972年に設立され たバクティヴェーダーンタ文庫社は、インドの宗教と哲学を刊⾏する世界最大の出版社に 成⻑しました。 高齢にもかかわらず、わずか12年間で六大陸を14週するほどの布教の旅を続けたシュ リーラ・プラブパーダは、⾏く先々で力強い法話を説きました。しかしそれでも、多忙を きわめた日程のために著作活動が遅滞することはありませんでした。…
主クリシュナの純粋な献愛者は、常に完全なクリシュナ意識の中にいます。 バクティヨガで完璧になると、思考も浄化され、物質的な欲求もなくなる。 献愛者は欲望がなくなるわけではなく、欲望をクリシュナ意識に組み合わせるのです。 非常に聡明でない限り、クリシュナ意識を受け入れることはできないと言われています。 Krsna yei bhaje sei bada catura あるいはクリシュナの献愛者なら、とても頭がいいにちがいないということも理解できる。 死石のように欲望のないものになることは、献身者の目標ではありません。なぜなら、私たちの体にも、欲望を止める代わりに、それをクリシュナの奉仕に利用することができるからです。 クリシュナの純粋な献愛者であるプララーダ·マハラジャは、権威はナルシムハ·デヴァに対する彼の欲望を説明しています。それについて読んでみましょう。 第43節 naivodvije para duratyaya-vaitaraṇyās tvad-vīrya-gāyana-mahāmṛta-magna-cittaḥ śoce tato vimukha-cetasa indriyārtha- māyā-sukhāya bharam udvahato vimūḍhān (翻訳)おお、偉大な人物の最高の御方。どこにいてもあなた様の栄光と活動を考えることに完全に没頭していますから、私は物質存在を全く恐れていません。私の関心は、物質的な幸福と家族と社会と国を維持するために苦労して計画を練っている愚か者や悪徳者のことだけです。私はただ愛情で彼らのことを案じているのです。 (解説)世界中の人々は、物質界の不幸を解決するために大きな計画を立てるが、現在も過去も未来も、このことは真実である。そうであるにも関わらず、政治的に社会的にそして文化的に詳細に計画を立てているのに、ここでは彼ら全員がヴィムーダ ―― 愚か者として説明されている。物質界は『バガヴァド・ギーター』で、duhkhalayam asasvatam ―― つまり一時的で悲惨である ―― と説明されているが、このような愚か者は物質自然がその独自の方法の取り計らいによって、どのように全てが活動するのかを知らなくて、物質界をスカーラヤム、つまり幸せな場所に変えようとしている。 prakṛteḥ kriyamāṇāni guṇaiḥ karmāṇi sarvaśaḥ ahańkāra-vimūḍhātmā kartāham iti manyate 「偽の自我に左右され困惑した魂は、諸活動の行為者は自分自身であり、動機も目的も自分固有のものであると錯覚する。本当は物質自然の三様式によるものであるにもかかわらす。」(『バガヴァド・ギーター』3章27節) 悪魔を罰するために、個人としてドゥルガーとして知られている物質自然の計画がある。。神を信じないアスラたちは存在するために苦闘しているが、ドゥルガー女神の直接攻撃を受けている。そして、悪魔たちを罰するために10本の手には異なる型の武器を持っている。彼女はライオンのような運搬人、つまり激情と無知の様式によって運ばれている。全ての者は激情と無知の様式を通して非常に懸命になって苦闘し物質自然を征服しなければならないが、最後は物質自然の法則によって克服される。 ヴァイタラニーとして知られている川が物質界と精神界の間にあって、反対側、つまり精神界に辿り着くためにはこの川を渡らなければならない。『バガヴァド・ギーター』(7章14節)で主はおっしゃっている。daivi hy esa gunamayi mama maya duratyaya:「物質自然の三様式から構成されている私のこの神聖なるエネルギーに打ち勝つことはたいそう難しい。」同じ言葉、duratyayaの意味は「たいそう難しい」という意味であり、ここでその言葉が使われている。ゆえに、至上主の御慈悲がなければ、物質自然の厳格な法則の限界を超えることはできない。そうであるが、全ての物質主義者は計画を立てて挫折しても、この物質界で幸せになるために何度も挑戦する。ゆえに彼らはヴィムーダ ―― 一流の愚か者として説明されている。プラフラーダ・マハーラージャは物質界にいたけれども、完全にクリシュナ意識だったので、全く不幸せではなかった。主に奉仕しようと頑張っているクリシュナ意識の人たちは不幸せではないが、一方、クリシュナ意識の財産を持っていなくて存在のためにもがいている人は、愚かであるだけでなく、本当に不幸せでもある。プラフラーダ・マハーラージャは幸せであり同時に不幸せであった。クリシュナ意識だったので幸せと超越的な喜びを感じたが、この物質界で幸せになるために苦心して計画を立てている愚か者や悪徳者に対して、大きな不幸せを感じていた。 第44節 prāyeṇa deva munayaḥ sva-vimukti-kāmā maunaḿ caranti…