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Happy New Year & 2022 recap 新年明けましておめでとうございます
新年明けましておめでとうございます。2022年に素晴らしい時間を過ごしました。ここに素敵な思い出を少し垣間見ることができます。 今年もよろしくお願いします。 シュリーラ・プラブパーダは、クリシュナは常に新鮮で新しい存在であり、クリシュナを祝福しているので、私達にとって毎日が新しい年である、と言いました。 ヴァイシュナヴァは、私はクリシュナを達成するために限られた時間を持っており、私は死に1年近づいている、私はより真剣に、誠実に、決意して、私のチャンティングに緊急性をもたらすべきである、と瞑想することができます、我々はマンガラアルティに参加して、献愛者の関連で唱え、近くの寺院に行くことによって、新しい年を迎えることができます。 新年から、毎日のバガヴァッド・ギーター学習会を第1章からスタートします。ぜひご参加いただき、新しい年を幸せで至福のものにしてください。 詳しくはこちら
変化 – あらゆる変化に適切に対応できているか?
変化 子供の頃、私たちは良い大学に入るために勉強していました。 大学では、素晴らしい会社に就職ができるように一生懸命働いています。就職している間は、次の将来(老後)のために働くことになります。 体が変わっても、私はこの体の中に残るということを過去の経験から知っているので、その変化に備え、今後不都合が生じないよう、今頑張っているところです。 私たちは、この身体が化学物質でできていて、常に変化していることを観察しています。 このように、身体の化学的構成要素が常に変化することで、私たちはこの身体の次の変化に備えなければならないのです。 . というのは、私たちはこの体ではないからです。 叡智の文献から、私たちはこの肉体ではなく、この肉体の中にある霊魂であることを非常に論理的に理解することができます。それは、私たちがこの肉体を変化させている精神魂であるからです。 この魂のことは、私たちがこの魂である以上、人生の中で最も重要なテーマです。 今のところ、この魂の性質について教えることのできる教育機関は、世界中に存在しません。私たちは、バガヴァッド・ギーターの本物の原理を使って、このことを教えようとしているのです。この題材を理解するためには、人生で少なくとも一度は試みなければなりません。私たちのクラスについてもっと知りたい方は、下記からお問い合わせください。 この人間の姿は、私たちが失ってしまったクリシュナとの関係を実現するための機会なのです。 この人間という生命形態は、神を実現するためのチャンスなのです。神の実現がなければ、私たちの人生は挫折してしまいます。神の一部である私たちは、神との関係を理解し、それに従って行動することが義務であり、そうすれば、人生の究極の目標が達成されます。人生の究極の目標は、知識と至福に満ちた永遠の生命、sac-cid-ānanda vigraha 〔Bs.5.1〕を獲得することである。サットは永遠、アーナンダは至福、チットは知識を意味します。 この身体はまさにその反対です。この身体はサットではありません。この身体は一時的なものです。この身体は一時的なものであり、永遠ではありません。この身体は無知に満ちています。実質的に何の知識もありません。私たちは、目を閉じても、目の前で何が起こっているのかわかりません。ですから、私たちの知識は常に不完全なのです。そして、この人生もまた惨めです。全く至福の時ではありません。 https://forms.gle/AraeBGzcm3EF46Bv5 著者名:Vinayak sharma (hare Krishna Tokyo創設者)
プラサーダーの質, 捧げる方法
食べ物の目的は、寿命を延ばし、心を浄化し、体力をつけることにあります。こ れ以外に目的はありません それをスリラ・プラブパダのバガヴァッド・ギータ・あるがままから理解しましょう。 第17章の第10 -12 節 āyuḥ-sattva-balārogya- sukha-prīti-vivardhanāḥ rasyāḥ snigdhāḥ sthirā hṛdyā āhārāḥ sāttvika-priyāḥ kaṭv-amla-lavaṇāty-uṣṇa- tīkṣṇa-rūkṣa-vidāhinaḥ āhārā rājasasyeṣṭā duḥkha-śokāmaya-pradāḥ yāta-yāmaṁ gata-rasaṁ pūti paryuṣitaṁ ca yat ucchiṣṭam api cāmedhyaṁ bhojanaṁ tāmasa-priyam 徳の様式にいる者が好む食べ物は、寿命を延ばし、存在を浄化し、力、健康、幸福感、 徳の様式にいる者が好む食べ物は、寿命を延ばし、存在を浄化し、力、健康、幸福感、 満足感を与える。そのような食べ物は水分と脂肪を豊富に含み、おいしく、食べる者の心を 喜びに満たす。 にがすぎて、酸っぱく、塩辛く、辛く、刺激があり、乾燥し、熱い食べ物は、激情の にがすぎて、酸っぱく、塩辛く、辛く、刺激があり、乾燥し、熱い食べ物は、激情の 様式にある。そのような食べ物は、悲しみ、苦痛、病気を発生させる。 食べる3時間以上まえに作られ、味がなく、変質し、腐敗し、残飯やけがらわしい材 食べる3時間以上まえに作られ、味がなく、変質し、腐敗し、残飯やけがらわしい材 料で作られた食べ物は、暗闇の様式にいる者に好まれる。…
Asa-Bandha – 見込みのない時でも(アサ・バンダ)
問い:献身者はどんなに見込みのない時でも(きっと至高の人格神の恩寵を得られるという)信念を持つべきでしょうか? プラブパーダ:必ず至高の人格神の恩寵を得られるという強い信念は、サンスクリット語でアサ・バンダーといいます。 アサ・バンダーとは、「私は献身奉仕の決まった原則にできる限り従おうと努力しているので、きっと至高神のもとへ、家へ帰れるだろう」と考え続けることを意味します。 このことに関しては、ルパ・ゴスワミの祈りがこの希望を如実に示す好例です。 彼はこのように祈りました。「私にはクリシュナへの愛も、クリシュナへの愛を育む要素、すなわち『聞くことと唱えること』もありません。 そして、いつもクリシュナのことを思い、心に主の蓮の御足をしかと思い描いている、というバークティ・ヨガの在り方も私には欠けています。 哲学的な知識や敬虔な働きに関しても、私にそのようなことを実践できる機会があるようには思えません。 それに何より、私は良い家の生まれでさえありません。 したがって、私はただひたすらあなたに、ゴピジャナ・ヴァラバー(クリシュナ、ゴピを守り(to maintain)、ゴピに愛される者)に祈らねばなりません。 私はただ、なんとかしてあなたの蓮の御足に近づくことができるようにと望み、願います。 そして、この願いは私に痛みを与えています。 “なぜなら、私は自分が人生のその超越的な目標に近づくにははなはだ無力である(incompetent、無能、無資格)であると思うからです。 (この祈りの)意味は、アサ・バンダーというこの方向性(heading、見出し、方位)のもとで、人は「何とかして至高の人格神の蓮の御足に近づくことができるのだ」と、どんなに見込みが無さそうであっても望み続けるべきであるということです。 翻訳 – Yoko Nishiyama

