入門。本当の入門 イスコン プラブパーダ

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  • 現代科学の基本中の基本を正すことができるのではないか?

     現代化学では、 化学物質の組み合わせによって生命が誕生したという考え方があります。しかし、私たちはそれが現実的であるとは思っていない。種は植物に成長し、実を結び、種はまた新しい植物を生み出すことができる。このようなメカニズムを、化学物質を混ぜたり、現代の技術的進歩によって作り出すことは不可能です。なぜなら、生命は常に生きている要素から生まれるのであって、死んだ化学物質や死骸を混ぜ合わせたものではないからです。 この生きている症状は霊魂であり、この霊魂が物質的な身体から離れたらすぐに死んでしまうことを、非常に論理的かつ科学的に理解することができます。したがって、これは生命が化学物質からではなく生命から生まれるという、私たちの科学的基礎のまさに基礎を作り出すものです。 私たちは、世界的に有名な知恵の文学であるバガヴァッド・ギーターからこの素晴らしい概念を教え、この主題に関する短いオンデマンドコースを開催しています。 https://forms.gle/NBbzuKfohpEZURcw8

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    Srilla prabhupada について

     Srilla prabhupada について   尊師A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダは、1896年、インドのカルカッ タで、この世界に生を受けました。1922年、後に自らの精神指導者となるシュリーラ・バ クティシッダーンタ・サラスヴァティー・タークラにカルカッタで出会います。バクティ シッダーンタ・サラスヴァティー・タークラは著名な宗教学者で、インド国内で64箇所の ゴウディーヤ・マタ(ヴェーダに基づく組織)を設立していました。師はアバイ・チャラ ンという名のこの教養ある⻘年に好感をいだき、ヴェーダ知識を世に広めるために一生を 捧げるよう勧めました。シュリーラ・プラブパーダはこの聖者を仰ぐ従者となり、11年後 の1933年、正式に入門式を受けて弟子になりました。 二人がはじめて出会ったとき、シュリーラ・バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・ タークラは、英語でヴェーダの知識を広めるよう彼に助言しました。それ以来、シュリー ラ・プラブパーダは『バガヴァッド・ギーター』の注釈書を書き、自著をとおしてゴウデ ィーヤ・マタを支援し、1944年には英語の隔週雑誌『バック・トゥ・ゴッドヘッド』の自 費出版を始めました。執筆、編集、ゲラ刷り校正、さらにはできあがった雑誌の配布など、 すべてを一人で実⾏し、まさに孤軍奮闘の布教活動をつづけました。この雑誌は現在、⻄ 洋の弟子たちに受けつがれ、出版されています。 1950年に家族生活を離れたあと、研究と執筆に専念するためにヴァーナプラスタ(隠退) の階級を受けいれて聖地ヴリンダーヴァンへ旅立ち、由緒ある歴史を持つラーダー・ダー モーダラ寺院で質素に暮らし、深遠な研究と著作に打ちこみました。1959年には放棄階級 (サンニャーサ)を受けいれ、ラーダー・ダーモーダラ寺院で一生の傑作にとりかかりま す。それは18,000の節からなる『シュリーマド・バーガヴァタム』(『バーガヴァタ・プ ラーナ』)の翻訳・解説書です。同時期にEasy Journey to Other Planets(『惑星への自由 旅⾏』)も著わしています。 『シュリーマド・バーガヴァタム』を3巻出版したあと、1965年9月、師から託された 使命を果たすために合衆国へ渡航しました。その後も執筆をつづけた師は、権威ある解釈 を付した訳書、インドの古典的哲学・宗教書に関する概説研究書を世に紹介し、その数は 50冊以上にのぼります。 初めてアメリカの土を踏んだとき、所持金はほとんどありませんでしたが、約1年間の 苦闘を経て、1966年7月にクリシュナ意識国際協会を設立しました。1977年11月14日に 他界するまで、この協会を指導しながら、100以上のアーシュラマや学校、寺院、研究所、 農場などを保有する世界的な組織へと育てあげました。 1972年、テキサス州のダラス市にグルクラ(gurukula)校を設立することで、ヴェーダ の教えに基づいた初級・中級の教育体制を⻄洋に導入しました。以後、弟子たちは合衆国 内、そして他の国々に同様の学校を建設しました。 シュリーラ・プラブパーダは、インドでも大規模な文化施設の建築を弟子たちに指示し ています。中でも、精神的都市として計画されたシュリーダーマ・マーヤープラの中心施 設は、⻑期にわたる大規模建設計画として実施されることになっています。ヴリンダーヴ ァンには、壮麗なクリシュナ・バララーマ寺院、国際迎賓館、グルクラ、シュリーラ・プ ラブパーダ記念館、展示館などが建設されました。ムンバイでも大規模な文化・教育セン ターが設立され、また別の計画として、デリーやバンガロール、そしてインド国内の他の 主要都市にも寺院が建設されることになっています。 しかし、このような貢献の中でも、シュリーラ・プラブパーダの最大の偉業はその著書 にあります。権威に基づいた深淵かつ明晰な解説は各界の学者から高い評価を受け、多数 の大学で研究資料として使われています。尊師の書籍を発⾏するために1972年に設立され たバクティヴェーダーンタ文庫社は、インドの宗教と哲学を刊⾏する世界最大の出版社に 成⻑しました。 高齢にもかかわらず、わずか12年間で六大陸を14週するほどの布教の旅を続けたシュ リーラ・プラブパーダは、⾏く先々で力強い法話を説きました。しかしそれでも、多忙を きわめた日程のために著作活動が遅滞することはありませんでした。…

  •  主チャイタンニャという人とその教え

      主チャイタンニャが降誕されたのはインドの西ベンガル地方のマヤプール地区にあるナディアという小さな街でした。 それは西暦1486年2月18日の日が落ちて間もなくのことです。満月の夜でしたが、月食のため古くからのしきたりでこの街の人々はバギラティ川(ガンジスの別名)でその夜に沐浴の儀式を行っている最中でした。 父親のジャガンナータ・ミシュラと母シャチ―・デーヴィーはともにシレートという名の街に先祖代々の実家をもつブラーフマナ(バラモン)の家系の出身でした。   主チャイタンニャの存在とその教えはインドにおいても広く知られている訳ではありませんが、その生涯と教えはヴェーダの究極の到達点への導きそのものであり栄光に満ちあふれた至宝の甘露となっています。 主チャイタンニャの真のお姿は、実は至高主クリシュナ自身でありながらご本人のご意思によりその事実は一般大衆には隠されました。ヴェーダの教えでは至高主クリシュナはカリという時代には化身しないとされています。しかし主チャイタンニャがお生まれになったのはカリ時代のことです。ゆえに本来はカリ時代には現れない主ご自身は本当の姿を一般の人々には隠されました。だからこそ、その真実を見抜き語り継ぐ聖者の間ではチャンナ・アヴァターラ(隠れた化身)と呼ばれています。  主チャイタンニャはご自分の存在は隠されましたが、それとは逆にその教えはインド中に広く流布されました。出会う全ての人に主の聖なる御名の唱名を推奨し、それがカリ時代の最も有効な浄化手段(ユガ・ダルマ)であり、ヴェーダで説明されている最高の供犠であると説かれました。ヴェーダでは瞑想、儀式、神像崇拝が供犠として人を浄化し完成へと導く手段と説明されていますが、このカリ時代ではそれらの厳しい供犠で得られる同じ結果が主の聖なる御名を集まって唱えることで得られる神秘を開示されました。カリ時代はヴェーダで示される4つの時代の中で最も堕落した時代であり、偽りと争いが蔓延し、不徳な輩が世界を支配し正直な人間が虐げられる最悪の環境となります。この時代は43万年間続きます。だからその救いの方法も時代に合わせ容易なものとなっているのです。ただ御名を唱え神の意識に目覚めるという方法です。   主チャイタンニャの伝記『Sri Caitanya-Caritamrta』Madhya-Lila6-103には、「カリ時代には、知性ある人々は、ハレー・クリシュナ・マハーマントラを集まって唱えてカリ時代に現れる至高主を崇拝する。その主はいつもクリシュナの栄光を讃えており、黄金の肌色をして、主の化身や側近、献身者に取り囲まれている」とあります。   ※ハレー・クリシュナ・マハーマントラ   हरे कृष्ण हरे कृष्ण , ハレー クリシュナ ハレー クリシュナ कृष्ण कृष्ण हरे हरे | クリシュナ クリシュナ ハレー ハレー हरे राम हरे राम ,    ハレー ラーマ ハレー ラーマ राम राम हरे हरे ||   ラーマ ラーマ ハレー ハレー    またヴェーダ哲学の最奥の経典『Srimad Bhagavatam』11-5-32にもこうあります。「カリ時代には、知性ある人々は、絶えず主クリシュナの名を広めるために人前で主の御名を唱えるキールタンを行います。その主導者(主チャイタンニャ)の肌は黒くありませんが主クリシュナ自身です。彼は交際者、従者、武器および内密な仲間たちを同伴します」  『Bhagavad Gita』における主クリシュナの究極的な教えは、誰もが主クリシュナに服従しなさい、というものでした。私に身を委ね服従した魂を私は直接めんどうを見る、救済するということです。主クリシュナはヴィシュヌの様相として、また宇宙を支配する強力な生物(半神)に力を与えることで、間接的には私達を維持して下さっています。しかし、アルジュナがそうしたように主クリシュナに服従したなら、直接の交際者となってその魂と個人的に愛情交換をして下さり、主の住居に住まわせて下さることが『BhagavadGita』や『Srimad Bhagavatam』の中でも説明されています。   主クリシュナは梵天(ブラフマー神)の1日に、つまり86億年に一度地球で『BhagavadGita』を語ります。またその内容は 『ウパニシャッド』の要約の体をなし、抽象的とも言えます。ですから、同じ86億年に一度の周期で主チャイタンニャとして再び地球に現れ、主クリシュナに身を委ねる実践的な方法を教えるのです。主クリシュナご自身が主の仕え人、帰依者となり手本を示されるのです。これが主チャイタンニャに関する内密な真実です。智慧ある者はこの事実を受け入れ、恩恵にあずかるべきです。  主チャイタンニャは言われました。「このカリ時代では隠遁生活、放棄生活をする必要はない。家庭を持ち家でグルの指導の下、毎日主の御名ハレー・クリシュナ・マントラを唱え、『BhagavadGita』や『Srimad Bhagavatam』に書かれている主クリシュナの物語を聞きなさい。そして会う人に私の教えを伝えなさい。それだけであなたの人生は完成する」  主クリシュナの御名はナーマと言い、主そのものです。名前と主ご自身には何の違いもありません。ヴェーダのマントラの持つ浄化力よりもはるかに優れています。ナーマはクリシュナご自身であり、完全に純粋であり、唱える者の過去に犯したカルマを火にくべられた薪のように燃やし尽くします。そして唱える者の心を浄化し、主クリシュナへの本来持っている愛情を甦らせます。肉体は朽ち果てますが、魂は永遠であり、その魂のダルマ(本分)は主クリシュナに仕えることだと主チャイタンニャは説明されました。それが全ヴェーダの結論であると宣言されたのです。この意識を回復しない限り人は、苦しみ、悲しみ、恐れ、疑問を持ち、そのような不運の中で輪廻転生し続けることになるのです。  私たちはこの生涯を、家族・財産・健康への執着という自己中心的なものに使うのではなく、本来の魂の立場へ覚醒するために人生を使うべきなのです。  カリ時代は紀元前3,102年2月17日から始まりました。不徳の者が台頭し権力を持ち支配者になる。徳ある者が少数派となり端に追いやられる。しかしこの不運な時代にも一つだけいいことがある。主の聖なる御名を唱えることで、全てのヨーガの完成が得られる。この幸運を全ての村や街に配りなさい。それが主チャイタンニャのマノーヴィシュタン(崇高な望み)です。    ナロッタマ・ダースは、「主チャイタンニャの御名を世界に広めることにより、ルーパ、サナータナに代表される6人のゴースワミーに仕えることができ、アルジュナが勝利したように必ず成功する」と祝福をくださっています。

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    Oṁ namo bhagavate vāsudevāyaの解説

    VāsudevāyaとはVasudevaの息子であるKṛṣṇaを意味します。Vāsudevāya、Kṛṣṇaの御名を唱えることで人は慈善、禁欲生活と苦行の全ての良い結果を達成することが出来ます。従ってこのマントラoṁ namo bhagavate vāsudevāyaを唱えることによってŚrīmad-Bhāgavatamの著者又は語り手又は読者は全ての喜びの源である至高主Kṛṣṇaに尊敬の礼を捧げるということを理解されています。 このoṁとは主に向かって言を呼びかけることを意味します。全てのVedaマントラで呼んでいます。私たちこのmahā-mantraであるHare Kṛṣṇaも呼びかけることです。Hare,Hare,主のエネルギーであるHarāを呼びかけています。エネルギーはHarā, Rādhā, Sītāです。女性を呼びかける時このようです。Hare, Late, Sīte, Rādhe。従ってHareとはまず第一に最初にエネルギーを呼びかけることを意味します。非人格主義者たちはこのことを知りません、まず第一に最初にKṛṣṇaのエネルギーを呼びかけること。私たちGauḍīya-VaiṣṇavaはKṛṣṇa一人だけを崇拝しているのではありませんekala-vāsudeva、いいえ。私たちはKṛṣṇaのエネルギーとともにKṛṣṇaを崇拝しなければなりません。丁度Kṛṣṇārjunaのように、KṛṣṇaとArjuna。Arjunaもエネルギーです。Rādhā-Kṛṣṇa,クリシュナの内的エネルギーと中間エネルギーです。 KṛṣṇaとはKṛṣṇaのエネルギーと共に意味します。Oṁ namo bhagavate vāsudevāya.このbhagavateとはエネルギーに満たされいることを意味します。bhagavānについては何度か説明してきました。Bhagaは豊かさ、vānは所有する者という意味です。Bhagavān. これがBhagavānという言葉の意味です。ですから、このBhagavānという言葉は、bhagavateと呼ばれます。この言葉は bhagavat、bhagavat-śabdaです。 ですから、bhagavateはこう言うのです、oṁ namo bhagavate vāsudevāya.Vāsudevāya, これは…、śabdaの第四の形、音のバイブレーションの形です。第四の形。ちょうどkṛṣṇāyaのようなものです。私が何かを捧げるとき、kṛṣṇāya, viṣṇave. 同じように、bhagavate, vāsudevāya. つまり、Śrīmad-BhāgavatamとはKṛṣṇaのことです。それ以外はありえません。これがkṛṣṇa-kathāです。Bhagavad-gītāもまた、kṛṇa-kathāです。Kathāは言葉を意味します。ですから、Kṛṣṇaによって語られるKṛṣṇaの言葉、それがBhagavad-gītāです。Bhagavad-gītāについて語られた言葉、それがŚrīmad-Bhāgavatamです。あるいは、Kṛṣṇaの献愛者について語られた言葉がbhāgavataです。bhāgavataには2種類あります。ひとつはこの本bhāgavataであり、もうひとつは献愛者です。彼もまたbhāgavataです。Caitanya Mahāprabhuは、bhāgavata para giya bhāgavata sthāneを勧めています:「あなたは bhāgavataのところに行って、bhāgavataである人からŚrīmad-Bhāgavatamを読みなさい。」そうでなければ、あなたは誤解するでしょう。Bhāgavata para giya bhāgavata sthāne. 引用:Śrīmad-Bhāgavatam 2.1.1

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    Hare Krishna マントラ | プラブパーダ 解説

    この超越的なヴァイブレーションー Hare Kṛṣṇa, Hare Kṛṣṇa, Kṛṣṇa Kṛṣṇa, Hare Hare/ Hare Rāma, Hare Rāma, Rāma Rāma, Hare Hareの詠唱はー私たちのクリシュナ意識を生き返らせるための崇高な方法です。生きている精神魂として、私たちは皆、元々はクリシュナ意識の実体ですが、太古の昔から物質と関わってきたため、私たちの意識は現在、物質的な環境によって汚染されています。この汚染された生活概念の中で、私たちは皆、物質自然の資源を利用しようとしていますが、実際には私たちはますます複雑さに巻き込まれつつあります。この幻想はマーヤー、または物質自然の厳しい法則をめぐる生存のための厳しい闘争と呼ばれます。物質自然に対するこの幻想的な闘争は、私たちのクリシュナ意識の生き返らせることによってすぐに止めることができます。   クリシュナ意識は人為的に心に押し付けられるものではありません。この意識が生命体の本来のエネルギーです。超越的なヴァイブレーションを聞くと、この意識が生き返ります。そしてこの方法は、この時代のために権威によって推奨されています。実践的な経験からも、このマハー・マントラ、つまり救出のための大詠唱を唱えることによって知覚することが出来ます、人はすぐに霊的層から超越的なエクスタシーを感じることができます。人が事実上、感覚、心、知性の段階を超えて霊的理解の次元にいるとき、人は超越的な次元に位置しています。 「Hare Kṛṣṇa, Hare Kṛṣṇa, Kṛṣṇa Kṛṣṇa, Hare Hare/ Hare Rāma, Hare Rāma, Rāma Rāma, Hare Hare」のこの詠唱は、精神的な基盤から直接制定され、すべての低次の意識状態、つまり感覚的、心理的、知的を超えます。マントラの言語を理解する必要はなく、このマハーマントラを唱えるためにメンタル的な思索や知的な調整も必要ありません。それはスピリチュアルなプラットフォームから自動的に湧き出てくるので、誰でも事前の資格なしでこの超越的な音のヴァイブレーションに参加し、エクスタシーで踊ることができます。 私たちはそれを実際に見てきました。子供でも詠唱に参加できますし、犬も参加できます。ただし、即座に効果が得られるように、この詠唱は主の純粋な献愛者の口から聞こえるべきです。蛇の唇がミルクに触れると有毒な影響が生じるため、非献愛者の唇から唱えることは可能な限り避けるべきです。 ハラという言葉は、主のエネルギーを表す表現です。クリシュナとラーマはどちらも主に直接呼びかける表現であり、「永遠の最高の喜び」を意味します。ハラは主の最高の喜びの力です。この力は、ハレと呼ばれるとき、至高主に到達する助けとなります。 マーヤーと呼ばれる物質エネルギーも、私たちが主の中間エネルギーであるのと同じように、主の多能性の一つでもあります。生命体は物質よりも優れたエネルギーとして描写されます。優れたエネルギーと劣ったエネルギーが接触すると、相容れない状況になります。しかし、最高の中間な能力が精神的な能力であるハラと接触すると、それは生命体の幸せで正常な状態になります。 ハーラー、クリシュナ、ラーマという 3 つの単語は、マハーマントラの超越的な種子であり、その詠唱は、条件付けされた魂に保護を与えるための主とその内なるエネルギーであるハーラーへの霊的な呼びかけです。その唱歌は、まさに子どもが母親を想う心からの叫びのようです。母ハラは至高の父ハリ、つまりクリシュナの恵みを達成するのを助け、主はそのような誠実な献愛者にご自身を現されます。 したがって、この時代においては、マハー・マントラを唱えることほど効果的な精神的悟りの手段はありません。 Hare Kṛṣṇa Hare Kṛṣṇa, Kṛṣṇa Kṛṣṇa Hare Hare, Hare Rāma Hare Rāma, Rāma…

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    人は非常に謙虚でなければならない

    ですから、これらの思い上がった人々はクリシュナを理解することはできません。人は非常に謙虚にならなければなりません。キリストもまた、『神の国は謙虚で柔和な者たちのためにある』と言われています。そのことは実は、、、そしてクリシュナもまた言いました、sarva-dharmān parityajya mām ekaṁ śaraṇaṁ vraja (BG 18.66)。「はい、私は何も持っていません、取るに足らない者です。」これこそが、謙虚さの始まりです。Bahūnāṁ janmanām ante jñānavān mām (BG 7.19)。グル、クリシュナの前では常に取るに足らないものであり続けること、これが真の知識です。そして、それは利益なのです。誰かが「私は私のグル以上、クリシュナ以上になった」と考えるなら、その人はお終いです。ですから、人はとても謙虚で柔和になるべきです。制度上、自分がbrahmacārī, gṛhastha, vānaprastha, sannyāsaいづれに位置しているかは問題ではありません。たとえサンニャーサの階級を得た人であっても、彼は常に謙虚でいるべきです。 ですから、私たちは決して「自分はとても偉大な人物になった」と考えるべきではありません。それが私のグル・マハーラージャの教えでした。baḍa vaiṣṇavaとは「私はとても偉大なヴァイシュナヴァです。誰もが来て私の命令に従わなければなりません。」これこそが非難された立場ですね。本当の立場とは、人は非常に謙虚で柔和でなければならないということです。Jñāne prayāsam udapāsya namanta eva. Namantaとは謙虚という意味です。人は… Namanta eva san-mukhari..純粋な献愛者たちから学ぶ心構えがなければなりません。純粋な献愛者たちからの話を非常に待ち望むべきです。それと同じこと、anyābhilāṣitā-śūnyaṁ。クリシュナに仕えること以外に物質界では何の望みも持たない人こそ、純粋な献身者です。ですから、謙虚にそのような人物からの話を聞くのを切望すべきです。 (Srila Prabhupada Lecture, Mayapur, February 10, 1976)