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  • Rama Navmi 主ラーマの降臨祭

     Rama Navmi 主ラーマチャンドラもその弟たちラクシュマナ、バラタ、シャトルグナも皆、ジーヴァ・タットヴァではなくヴィシュヌ・タットヴァです。至高人格神はたいへん数多くの姿に拡張なさいます。Advaitam acyutam anādim ananta-rūpam。 彼らはひとりであって同一ですが、ヴィシュヌ・タットヴァにはたくさんの姿と化身があります。『ブラフマ・サンヒター』(5-39)では、rāmādi-mūrtiṣu kalā-niyamena tiṣṭhan.と確証されています。主にはラーマ、ラクシュマナ、バラタ、シャトルグナのようにたくさんの姿かたちがあり、主の創造のどの部分にも存在する可能性があります。これらのお姿は個々の人格神として永続的かつ永遠に存在し、それはたくさんのロウソクが同じ強さを秘めているのと同じです。ヴィシュヌ・タットヴァであるラーマ、ラクシュマナ、バラタ、シャトルグナは皆等しく強力で、神々の祈りに応えてマハーラージャ・ダシャラタの息子となられたのでした。 9-10-3 tasyānucaritaṁ rājann ṛṣibhis tattva-darśibhiḥ śrutaṁ hi varṇitaṁ bhūri tvayā sītā-pater muhuḥ tasya — 至高人格神ラーマチャンドラとその弟たちの; anucaritam — 超越的な活動; rājan — 王(マハーラージャ・パリークシット)よ; ṛṣibhiḥ — 偉大な聖者や聖人によって; tattva-darśibhiḥ —絶対心理を知っている人によって; śrutam — 全員が聞いた; hi — 実に; varṇitam — たいへんすばらしく述べられているので; bhūri — たくさんの; tvayā — あなたによって; sītā-pateḥ — シーター妃の夫である主ラーマチャンドラの; muhuḥ —…

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    クリシュナ―――この音は超越的です。クリシュナ とは、最も高い喜びを意味します。私たちは皆、すべての生命体は、喜びを探し求めます。しかし、私たちはどうやって完璧に喜びを探し求めるかを知りません。人生の物質主義的な概念を持って、私たちは自分の喜び(訳注:~への渇望)を満足させることにおいて、絶えず挫折しています。なぜなら、本当の喜びを持つ水準について、何の情報も持たないからです。

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  • Prabhupada ashraya Program

    バクティ・ヨガ・スクール – ハレー・クリシュナは、信者の献身的実践を初級から上級まで段階的に進めるためのプラブパーダ・アーシュラヤ・プログラムを主催しています。シュリーラ・プラブパーダ・アーシュラヤ・プログラムは年に複数回開催され、すべての参加者に便利な機会を提供しています。信者は事前に登録し、プログラムのガイドラインを順守して、様々なアーシュラヤのレベルを順調に進む必要があります。

  • Asa-Bandha – 見込みのない時でも(アサ・バンダ)

    問い:献身者はどんなに見込みのない時でも(きっと至高の人格神の恩寵を得られるという)信念を持つべきでしょうか? プラブパーダ:必ず至高の人格神の恩寵を得られるという強い信念は、サンスクリット語でアサ・バンダーといいます。 アサ・バンダーとは、「私は献身奉仕の決まった原則にできる限り従おうと努力しているので、きっと至高神のもとへ、家へ帰れるだろう」と考え続けることを意味します。 このことに関しては、ルパ・ゴスワミの祈りがこの希望を如実に示す好例です。 彼はこのように祈りました。「私にはクリシュナへの愛も、クリシュナへの愛を育む要素、すなわち『聞くことと唱えること』もありません。 そして、いつもクリシュナのことを思い、心に主の蓮の御足をしかと思い描いている、というバークティ・ヨガの在り方も私には欠けています。  哲学的な知識や敬虔な働きに関しても、私にそのようなことを実践できる機会があるようには思えません。 それに何より、私は良い家の生まれでさえありません。 したがって、私はただひたすらあなたに、ゴピジャナ・ヴァラバー(クリシュナ、ゴピを守り(to maintain)、ゴピに愛される者)に祈らねばなりません。  私はただ、なんとかしてあなたの蓮の御足に近づくことができるようにと望み、願います。 そして、この願いは私に痛みを与えています。 “なぜなら、私は自分が人生のその超越的な目標に近づくにははなはだ無力である(incompetent、無能、無資格)であると思うからです。 (この祈りの)意味は、アサ・バンダーというこの方向性(heading、見出し、方位)のもとで、人は「何とかして至高の人格神の蓮の御足に近づくことができるのだ」と、どんなに見込みが無さそうであっても望み続けるべきであるということです。 翻訳 – Yoko Nishiyama