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    親愛なる弟子による説明

    「ロサンゼルスでは、多くの父親や母親が私のもとを訪れ、クリシュナ意識運動を世界中に広めたことへの感謝の気持ちを表してくれました。アメリカ人にとって、私がアメリカでクリシュナ意識運動を始めたことは非常に幸運だと言う人もいました。しかし実際には、この運動の本当の創始者はクリシュナ主自身です。この運動は遠い昔に始まり、師弟継承によって人類社会に伝えられてきたのです。もし私にこの点で何か功績があるとすれば、それは私個人のものではなく、私の永遠の精神的指導者である、オーム・ヴィシュヌパーダ・パラマハムサ・パリヴラージャカーチャーリヤ108シュリー・シュリーマド・バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・ゴースヴァーミー・マハーラージャ・プラブパーダの御恩によるものです。」

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    スピリチュアルな探求者の皆様へ:古代インド哲学への扉を開く90分の旅

    親愛なる探求者の皆様、人生の意味を探し求め、より深い真理を渇望していませんか? 日々の喧騒の中で、心の平安と自己の本質を見出したいと感じていませんか? もしそうなら、私たちの「古代インド哲学入門」クラスは、まさにあなたのための旅立ちの地点となるでしょう。この90分のクラスで、5000年以上の叡智が凝縮された世界へと誘います。

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    クリシュナ意識とは? 完璧なバクティ・ヨーガ

    この会話は、1975 年7月、アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィアのクリシュナ寺院にあるシュ リーラ・プラブパーダの部屋で、女性記者サンディ・ニクソン氏との間で交わされたものです。クリシュ ナ意識をわかりやすく紹介したすばらしい会話であり、ハレー・クリシュナ・マントラ、グルと最高人格 主神の関係、真のグルと偽物グルの違い、クリシュナ意識での女性の役割、インドのカースト制度、キリ スト意識とクリシュナ意識の関係など、基本的な主題が話されています。
    ニクソン氏 まず基本的なことをうかがいます。クリシュナ意識とはなんでしょうか?

  • 古代インドの叡智が解き明かす「死」の真実〜バガヴァッド・ギーターに学ぶ魂の永遠の旅〜

    「死」は終わりではなく、新たな始まりバガヴァッド・ギーターの第15章8節は、私たちの存在の本質と「死」の真の意味について深い洞察を与えてくれます。私たちの魂は、まるで香りを運ぶ空気のように、ある肉体から別の肉体へと移動します。死は単なる終わりではなく、新たな旅の始まりなのです。 Bhagvad gita 15.8śarīraṁ yad avāpnoti yac cāpy utkrāmatīśvaraḥ. gṛhītvaitāni saṁyātivāyur gandhān ivāśayāt 物質界にいる生命体は、空気が香りを運ぶように、さまざまな観念をある肉体か ら別の肉体へと運ぶ。このようにして、ある肉体を得たあと、次の肉体を得るためにそ の肉体を終える。 要旨解説 ここで生命体はéçvara(イーシュヴァラ)「肉体の支配者」と呼ばれています。望 みさえすれば、肉体をさらに高い境地に高めることもでき、また逆に堕落させることもでき ます。ささやかな自主性が用意されている、ということです。肉体の変化は生命体が決める ことです。死ぬときの意識が、魂を次の肉体に連れていきます。犬や猫のような意識で死ね ば、もちろん犬や猫のからだに入っていきますし、神聖な気質で死ねば、半神の姿を得ます。 さらに、クリシュナ意識で生涯を終えれば、精神界のクリシュナローカに行き、そこでクリ シュナとの交流を楽しむことができます。肉体が死ねばすべては終わる、と考えるのはまち がいです。魂は別の肉体に移るのであり、現在のからだや行動が次のからだを決定する原因 になります。肉体はカルマに応じて与えられ、その肉体もやがて終えなくてはなりません。 この節では、希薄なからだが現在の観念を次の肉体に運び、そして来世で別のからだを作り だす、と述べられています。からだを変えていくこの転生と、肉体にいるあいだの苦闘を karsati(カルシャティ)「生存競争」といいます。 śrotraṁ cakṣuḥ sparśanaṁ ca rasanaṁ ghrāṇam eva ca adhiṣṭhāya manaś cāyaṁ viṣayān upasevate[15.9] 訳 こうして生命体は別の濃密なからだに入ったあと、心を中心として耳、目、舌、 鼻、感触の感覚を得る。そして感覚の対象物を味わうのである。要旨解説 言いかえれば、生命体が自分の意識を犬や猫の意識の状態に落としてしまえ ば、来世で犬や猫のからだを手にいれ、そのからだを楽しむ、ということです。意識はもと もと水のように純粋です。しかしある色と混ざれば、別の色に変わります。同じように、精 神魂は純粋ですから意識も純粋です。物質との接触によって変化するのです。ほんとうの意 識はクリシュナ意識です。ですから、クリシュナ意識になれば本来の純粋な生活をするよう になります。しかし、意識が物質的な心理状態になれば、来世でその意識に応じた肉体を手 にいれます。そして、ふたたび人間のからだを得るとはかぎりません。犬、猫、豚、半神

  • 生と死をどのように幻想として描写できるでしょうか?

    私たちは毎日多くの生き物が生まれ、死んでいくのを目にします。死をどのように定義できるでしょうか?それは毎回起こることなのでしょうか?私たちは何度死を経験してきたのでしょうか?前回の「デスラボ」で、「生と死の学校」プロジェクトのためにこれらのトピックについて考えました。
    古代インドの知恵の文献であるバガヴァッド・ギーターから、非常に興味深い概念に出会いました。そこでは、死は体の変化としても描写されています。基本的に、私たちの生と死の認識は、それを理解しようとする次元に関連しています。詳しくはこのブログをご覧ください。

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    主クリシュナにとても親しく尊師シュリーラ・プラブパーダの地上で超越的な活動

    はじめてお会いした瞬間から、私は、尊師 A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダが、これまで会った人々のなかでたぐいまれな方であることに気づいていました。最初の出会いは 1966 年、夏のニューヨークです。友人が、マンハッタン南部のバウアリで「年配のインド人スワミ」の講義に行かないか、と私を誘ってくれたのがきっかけです。あんなきたない町でインドのスワミが講義をするなんて、と大いに好奇心をそそられ、私はでかけていきました。まっくらな階段を手さぐりで昇ると、ベルの音のような規則的に響く音がはっきりと大きく聞こえてきました。やっと四階にたどりついてドアをあけたとき、そこにあの方がおられました。 スワミは、私が立っていたところから 15 メートルほど離れた、⻑くて暗い部屋の奥まった場所にある小さな台に座り、その顔とサフラン色の僧衣が小さな電球の下で輝いていました。年配に見え、60 才ほどかな、と私は思いました。足を組み、堂々とした姿勢で座っておられます。頭はきれいにそられ、力みなぎるその顔と赤いフレームの眼鏡が一生を研究にささげてきた僧侶の雰囲気をただよわせていました。目をとじ、小さな太鼓をたたきながらかんたんなサンスクリット語の祈りの言葉を静かに唱えておられました。少数の聴衆も、一定の間隔を保ちながら、やまびこが応えるように、祈りの言葉を繰りかえし唱えていました。数人が小さなシンバルをたたいていましたが、ベルのように聞こえていたのはそのシンバルの音でした。その雰囲気にうっとりした私は、うしろで静かに座り、その唱名に加わろうと努めました。そしてじっと待っていました。 しばらくしてスワミは、目のまえに開かれたまま置かれているサンスクリット語の重厚な本を引用しながら英語で講義をはじめられました。ときどき本をめくりながらサンスクリット語の節を引用されましたが、ほとんどは暗唱しておられました。サンスクリット語の響きは美しく、引用するたびに詳細な説明を加えられました。その様子は学者然とし、使われる言葉には哲学的な用語や熟語が複雑に織り込まれていました。優雅な手の動きと活気あふれる顔の表情が、講義に強烈な力を添えていました。話は、私がそれまで聞いてきた話のなかでもっとも重みのある内容でした。「私はこの肉体ではありません。私はインド人ではないし……皆さんもアメリカ人ではありません……私たちはみな精神魂なのです……」 講義のあと、だれかが私にインドで印刷されたパンフレットをくれました。その写真には、インドのシャストリ首相にスワミが三冊の自著を手渡している様子が写っており、シャストリ首相の「インド政府管轄のすべての図書館がそろえるべき本」という言葉がありました。別の個所には、「尊師 A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダはすばらしい活動を展開し、著された書物は人類の救済に大きく貢献している」ともありました。私は本を数冊買いましたが、あとで、それはインドからスワミ自身がもってこられたものだということを知りました。表紙の折り返し、パンフレット、各種の文典を読んでいくうちに、自分がインドでもっとも尊い精神的な指導者に会ったのだということがだんだんと飲みこめてきました。 しかしどうしてもわからなかったのは、これほど高貴な人物が、なぜこのバウアリに住んで講義をしているのか、ということでした。博識であることはもちろん、その姿を拝見しただけでも高貴なインドの家庭に誕生されたことがすぐにわかります。なぜ、こんな貧しい暮らしをされているのか? なんのためにここにおられるのか? 数日たったある午後、私はスワミを訪ねて、疑問を晴らすことにしました。 驚いたことに、シュリーラ・プラブパーダは(あとになってこの名前で呼ぶようになったのですが)、会えないほど多忙な生活をされていたわけではありません。むしろ、一日中でも私と話してくださるようでした。思いやりと親しみのある方で、1959 年にインドで世俗の生活を捨て放棄生活に入り、そのため自分のためにお金を所持したり稼いだりするのは許されないこと、などを説明してくださいました。学問はずっと以前にカルカッタの大学で終了され、家族を養い、その後、昔から伝わっているヴェーダの教えに従い、家族と仕事を⻑男にまかせたということです。放棄階級になったあと、友人をとおしてインドの貨物船(スチンディア汽船株式会社のジャラドゥタ号)に無料で乗船する機会を得、そして 1965 年9月、ボンベイからボストンへの航海に出られたのです。持ちものはたった7ドルに相当する数十ルピー、本の詰まったトランク1個、数着の服だけ。彼のグルである尊師バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・タークラは、インドのヴェーダの教えを英語圏の人々に伝える使命をプラブパーダに託しました。まさにこのことが、69才にしてアメリカに来た理由でした。シュリーラ・プラブパーダは、インドの音楽、料理、言葉、さまざまな芸術をアメリカの人々に教えたい、と私に言われました。それを聞いて少なからず驚いたものです。 部屋を見て、シュリーラ・プラブパーダが小さなマットレスの上で眠られていること、衣服は部屋の隅にかけて夏の午後の日ざしで乾かされていることがわかりました。服は自分で洗い、食事は、インドで自分が工夫して作ったという容器で料理をされていました。4層になっているその容器を使って、一度に4種類の料理を作るのです。シュリーラ・プラブパーダのまわりや、室内の別の場所に置かれた旧式の携帯用タイプライターのまわりに積まれていたのは、数え切れないほどの原稿でした。起きている時間のすべて――24 時間のうちの 20 時間――を、私が購入した3冊の続編の翻訳と解説に費やされているということでした。それは、完成すれば 60 巻になる『シュリーマド・バーガヴァタム』という文字通り精神生活の百科事典でした。私は全編が無事出版されることを心から願いました。プラブパーダは土曜日のサンスクリット語の授業、月曜日、水曜日、金曜日の夕方の法話を聴きにくるよう私を誘ってくださいました。私は承諾し、感謝し、そして部屋をでましたが、心のなかで、その力強い決意に驚くばかりでした。 数週間して―― 1966 年7月のことです――寺院をセカンド・アヴェニューのもっと快適な場所に移すことでシュリーラ・プラブパーダのお手伝いをするという光栄に浴すことができました。私は数人の友人と協力し、一階の店舗と、そのビルの敷地内の狭い裏庭のうしろにあるアパートの2階の一部屋を借りることができました。法話と唱名はつづけられ、2週間もするとまたたくまに訪れる人がふえ、店舗と(それまでには寺院になっていた)アパートの部屋の家賃が払えるようになりました。シュリーラ・プラブパーダは従者たちにビラを印刷して配るよう指⽰され、またあるレコード会社の社⻑が、ハレー・クリシュナの唱名をレコードの LP 盤に吹き込む話をもちかけていました。シュリーラ・プラブパーダは弟子たちとレコーディングをし、大成功を収められました。新しくかまえた寺院では、唱名、ヴェーダ哲学、音楽、ジャパ瞑想、美術、料理などを弟子たちに教えられました。最初はプラブパーダみずから料理をされました―――いつも、模範をしめして教えられたのです。できあがったものは、いままで私が味わったもののなかで一番すばらしい料理でした(シュリーラ・プラブパーダは、作ったものすべてを自らの手で私たちに配られたものです)。ふつうメニューは、ご飯を使った料理、野菜料理、チャパーティー(メキシコのトルティヤに似た、全粒小⻨粉のパン)、ダール(ムング豆や干しエンドウを調味料の風味をきかせて煮こんだスープ)などでした。調味料の使い方、料理の素材(ギー、つまりバターを精製して作ったオイル)、料理の温度をはかる細心の注意、その他こまごまとした料理法など、どれも私にはまったく未知の世界でした。プラサーダム(「主の慈悲」の意)と呼ばれるその食べ物について、他の人たちも私とまったく同じ意見をもっていました。中国語の学者でもあるひとりの平和部隊活動家が、シュリーラ・プラブパーダからインドの伝統的な絵画法を学んでいました。最初に描きあげたその作品を見て、その質の高さにずいぶん驚かされたものです。 哲学的な討論になると、シュリーラ・プラブパーダはぜったいに屈しない、そして疲れを知らない方でした。討論のために翻訳作業を中断し、8時間も話しつづけられたこともありました。シュリーラ・プラブパーダが仕事をしたり食べたり、厚さ5センチのクッションで眠ったりする、そして狭くてゴミ一つ落ちていない部屋に7〜8人がぎゅう詰めで座ったこともあります。シュリーラ・プラブパーダは、「質素な生活と高邁な思想」というモットーをいつも強調し、みずから模範をしめしておられました。また、精神生活は単なる感傷や盲目的な信念ではなく、理性と論理で科学的に証明できることを力説されました。やがて月刊雑誌の発行をはじめられ、1966 年の秋、『ニューヨークタイムズ』紙がシュリーラ・プラブパーダとその弟子たちについて好意的な記事と写真を掲載しました。それからまもなく、あるテレビ局が特別番組を制作しました。 シュリーラ・プラブパーダについて知れば知るほど、私の心は高揚していきました。私がヨーガ修練や唱名の恩恵を望んでいたからなのか、あるいは尊師の人間性に惹きつけられていたのかよくわかりませんが、プラブパーダの一つひとつの成功に自分もついていきたいと思っていました。運動を広めようとする尊師の計画は大胆で、私たちにはまったく予測できませんでした。しかし計画がかならず成功するという予測は裏切られたことがありません。師は 70 才で、アメリカのことはなにも知らずに、無一文に等しい状態でこの国に来られましたが、それがいまでは、数カ月のうちに、たった一人で運動をはじめたのです! じつに驚くべきことです。 8月のある朝、セカンド・アヴェニューの店舗寺院でシュリーラ・プラブパーダは「きょうは、主クリシュナが降誕された日です」と言いました。その日は一日中絶食し、寺院にいました。その夜、数人のインドの人たちが偶然に寺院を見つけて入ってきました。そのなかのひとりは、世界の反対側にきて、ささやかながらも本物のインドの寺院を見つけることができてこれほど嬉しいことはない、と涙ながらに話していました。この人がたとえ突拍子のないことを夢みたとしても、こんな経験をするとは思いもよらなかったはずです。そのインド人の客人はシュリーラ・プラブパーダを流暢な言葉で讃え、心からお礼をいい、寄付をわたし、足元にひれ伏しました。だれもがその様子を見て深い感動を覚えました。そのあと、シュリーラ・プラブパーダはその紳士とヒンディ一語で言葉を交わされ、私にはまったく内容がわかりませんでしたが、シュリーラ・プラブパーダの言葉と身ぶりから、二人の魂がふれ合っていることははっきりわかりました。 その年の末、私はサンフランシスコからシュリーラ・プラブパーダに航空券を送り、師はニューヨークからサンフランシスコを訪ねられました。大勢で空港にでかけた私たちは、ハレー・クリシュナ・マントラを唱えてシュリーラ・プラブパーダをターミナルで迎えました。そこから金門橋公園の東側、新しく借りた店舗寺院へと案内しました。そこはニューヨークによく似た環境で、献愛者たちが一つの独立した布教体制を作りあげた感がありました。シュリーラ・プラブパーダはひじょうに喜ばれました。 数週間して、初めてのムリダンガ(両端をたたいて演奏する土製の⻑い太鼓)が、インドからサンフランシスコに届きました。シュリーラ・プラブパーダの部屋に入ってそのことを知らせると、師は目を大きく開き、興奮した声で、すぐに下にいって梱包を開けるよう指⽰されました。私がエレベーターに乗って下に降り、一階にでて玄関まで歩こうとすると、シュリーラ・プラブパーダが駆けつけられました。ムリダンガを早く見たいあまり、階段を駆けおり、私より早く一階に降りてこられたのです。箱をあけるよう私たちに指しめし、着ておられたサフラン色の僧衣の一部を破り、両端だけを残してムリダンガをその布で包まれました。そして「この布ははずさないように」と言われました。それから私たちに、演奏の仕方や扱い方などについて説明されました。 またサンフランシスコでは、1967 年、山車の祭り・ラタ・ヤートラーをはじめられ、プラブパーダのおかげでいまでは全世界の人々が参加できる祭りの1つになっています。ラタ・ヤートラー祭は、インドのジャガンナ一夕・プリーで 2000 年間毎年つづけられてきましたが、サンフランシスコでは 1975 年ごろになると、この祭りが注目を集めるようになり、市⻑が正式に「サンフランシスコのラタ・ヤートラー祭」と命名したほどです。 1966 年の終わりごろから、シュリーラ・プラブパーダは弟子を受けいれるようになりました。最初、弟子たち全員に「私を神としてではなく、神の召使いとして接するように」と説いておられました。そして神として崇拝するよう弟子に教えている我流のグルたちを非難し、「そんな『神』はとても安っぽい」と、ことあるごとに言われました。ある日だれかがシュリーラ・プラブパーダに、「あなたは神ですか」と聞いたことがありました。プラブパーダは「いいえ、神ではありません。神の召使いです」と答え、しばらく考えたあと、「ほんとうは、神の召使いではありません。神の召使いになろうと努めているだけです。神の召使いになるのは、ありきたりのことではありません」 70 才代の半ばを過ぎたシュリーラ・プラブパーダは、翻訳と出版にすさまじい情熱を傾けられるようになりました。世界中の学者たちが、プラブパーダの著書に対して好意的な論評を発表し、アメリカではほとんどの大学が標準の教科書としてそろえていました。出版数は 80 余冊になり、それらは弟子たちによって 25 カ国語に翻訳され、配られた数は5500 万冊にものぼります。シュリーラ・プラブパーダは世界中に 108 ケ所の寺院を開設され、1万人の弟子を受けいれ、また数百万もの人々がその教えに従っています。そして、地球で…

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    Śrī Śrī Gurv-aṣṭaka | シュリー シュリー グルヴァシュタカ

    作詞:ヴィシュヴァナタ・チャクラヴァルティ・タクーラ (1)サムサーラ ダーヴァーナラ リーダ ロカ saḿsāra-dāvānala-līḍha-loka- トゥラーナーヤ カールニャ ガナーガナトヴァンtrāṇāya kāruṇya-ghanāghanatvam プラープタシャ カリャーナ グナールナヴァシャprāptasya kalyāṇa-guṇārṇavasya ヴァンデ グロー シュリー チャラナーラヴィンダンvande guroḥ śrī-caraṇāravindam ​精神指導者は、慈悲の海から恩恵を授かっています。雲が雨を降らせて山火事を消すように、精神指導者は物質的存在という燃え盛る炎を消すことによって、物質的苦悩にあえぐ世界を救ってくださるのです。吉兆な質に満たされた海ともいうべき、そのような精神指導者の蓮華の御足に、私は尊敬の礼を捧げます。 (2)マハープラボー キールタナ ヌリティヤ ギータmahāprabhoḥ kīrtana-nṛtya-gīta- ヴァデートゥラ マーデャン マナソ ラセーナvāditra-mādyan-manaso rasena ローマーンチャ カンパーシュリ タランガ バージョーromāñca -kampāśru-tarańga-bhājo ヴァンデ グローウ シュリー チャラナーラヴィンダンvande guroḥ śrī-caraṇāravindam ​聖なる御名を唱え、無我夢中で踊り歌い、楽器を奏でながら精神指導者はいつも主チャイタニヤ・マハープラブのサンキールタン運動によって、喜びに満ち溢れていらっしゃいます。師は心の中で純粋な献愛という法悦を味わっておられるので、時には髪の毛が逆立ち、体が震えるのを感じ、涙が波のようにとめどなく流れます。そのような精神指導者の蓮華の御足に、私は尊敬の礼を捧げます。 (3)シュリー ヴィグラハーラーダナ ニティヤ ナーナーśrī-vigrahārādhana-nitya-nānā- シュリンガーラ タン マンディラ マールジャナーダウśṛńgāra-tan-mandira-mārjanādau ユクタシャ バクターンシュ チャ ニユンジャト ピyuktasya bhaktāḿś ca niyuñjato ‘pi ヴァンデ グロウ シュリー チャラナーラヴィンダンvande guroḥ śrī-caraṇāravindam ​精神指導者はいつも寺院でシュリー・シュリー・ラーダークリシュナの崇拝をされ、彼の弟子たちにもそのような崇拝を指導なさります。弟子たちは美しい服と宝石で神像を飾り、寺院を清掃し、その他様々な奉仕を主に捧げます。そのような精神指導者の蓮華の御足に、私は尊敬の礼を捧げます。 (4)チャトゥル ヴィダ シュリー バガヴァッ プラサーダcatur-vidha-śrī-bhagavat-prasāda- スヴァードゥヴァンナ トゥリプターン ハリ バクタ サンガーンsvādv-anna-tṛptān hari-bhakta-sańghān クリトゥヴァイヴァ トゥリプティン バジャタ サダイヴァkṛtvaiva tṛptiḿ bhajataḥ sadaiva  ヴァンデ グロウ シュリー チャラナーラヴィンダン vande guroḥ śrī-caraṇāravindam ​精神指導者はいつもクリシュナに4種類の美味しい食べ物(舐めたり、噛んだり、飲んだり、吸ったりできるもの)を捧げ、弟子たちがバガヴァッド・プラサーダムを食べて満足しているのを見て、ご自分も満足なさいます。そのような精神指導者の蓮華の御足に、私は尊敬の礼を捧げます。 (5) シュリー ラーディカー マーダヴァヨラ パーラ śrī-rādhikā-mādhavayor apāra-   マードゥリャ リーラ グナ ルーパ ナーンナーンmādhurya-līlā guṇa-rūpa-nāmnām  プラティ クシャナースヴァーダナ ロールパシャprati-kṣaṇāsvādana-lolupasya ヴァンデ グロウ シュリー チャラナーラヴィンダンvande guroḥ śrī-caraṇāravindam ​精神指導者はいつも熱意をもってラーディカとマーダヴァの果てしない愛の戯れや、お二人の質、御名、お姿について耳を傾けたり唱えたりなさり、それらを毎瞬間味わおうとなさっています。そのような精神指導者の蓮華の御足に、私は尊敬の礼を捧げます。 (6) ニクンジャ ユーノ ラティ ケーリ シッディヤイnikuñja-yūno…

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    Kartik Month カーティク

    「Dāmodaraというのは、Kṛṣṇaの別名です。Dāmodara寺院、つまりRādhā-Dāmodara寺院はVṛndāvanaにあり、私はそこに滞在していました。今でも私には2つの部屋があります。このDāmodaraの説明ですが…Dāmodara 月がやって来て、この10月の18日から始まります。その日から、18日から11月17日までの1ヶ月間、Dāmodara-vrataを行います。すべきことは、夕方、正に御神像の面前で蝋燭を捧げることです。小さな蝋燭を皆さん全員で。部屋の中でなく、部屋の外でです。Dāmodarastakaつまりnamāmisvaram を唱えます。それは私たちの歌集にすでに印刷されています。これがDāmodara-vrataです。」。                                                                                 Srila Prabhupada Lecture, Mayapur, October 11, 1974 カーティク月はヴェーダ太陰暦の8月で、この月に有名なクリシュナのダモーダラ遊戯が行われたため、ダモーダラ月とも呼ばれています。 この月は非常に縁起の良い月で、毎晩、人々はクリシュナにギー・ランプを捧げ、寺院全体が灯されたランプで飾られるのです。   この月、献身者はクリシュナの子供の姿を愛情を込めて拝みます。 金細工が熱を帯びて輝くように、とても美しい人がギーランプで拝まれると、その美しさがますます引き立つのです。   こうして、献身者は毎日ダモーダラ月間を祝っているのです。 スリラ・プラブパーダとダモーダラとヤショーダ・マイヤの写真を祭壇に置く ギー・ランプを用意する。ギーランプを用意するのが難しい場合は、オイルランプやろうそくを使ってもよい。 シライラ・プラブパーダのアルティをすることから始め、次にチャイタニャ・マハプラブ、そしてダモーダラとマザー・ヤショーダのアルティをすることです。 このように、ランプを足もとの方を見て4回、お腹の方を見て2回、顔の方を見て3回、全身で7回回転させながらアーティを行います。 アルティの前に次のような祈りを歌い、主のダモーダル遊戯を思い出します。 Śrī Dāmodarāṣṭakaṁ  シュリー・ダーモーダラースタカム作詞:サティヤヴラタ・ムニ ​ (1) ナマーミーシュヴァラム サッチ アナンダ ルーパン   namāmīśvaraṁ sac-cid-ānanda-rūpaṁ ラサッ クンダラン ゴクレ ブラージャマナン lasat-kuṇḍalaṁ gokule bhrājamanam ヤショダー ビヨルークラ ダーヴァマーナン yaśodā-bhiyolūkhalād…

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    バガヴァッド・ギーター18クラスコース

    バガヴァッドギーターは5000年前インドの聖地クルクシェートラの戦いにて至高の神クリシュナによって語られた「宇宙の法」とされる聖典です。 バガヴァッドギーターは、ヴェーダではイティハーサ(歴史書)に分類される、 世界三代叙事詩マハーバーラタの1部分を抜きとった聖典で、著者であるヴィヤーサデーヴァにより第五ヴェーダに位置付けられている聖典です。 Īśvara(最高主)、jīva(生命体)、prakṛti(自然)、kāla(永遠の時間), カルマ(活動) の理解 世俗問題をスピリチュアル的に解決 全ての源について学べます。バガヴァッドギーターは、ヴェーダではイティハーサ(歴史書)に分類される、世界三代叙事詩マハーバーラタの1部分を抜きとった聖典で、著者であるヴィヤーサデーヴァにより第五ヴェーダに位置付けられている聖典です。 戦場という生死を目の前にした王家争いの戦争で、敵陣(親族、従兄弟、親友)と戦わなければいけなくなった主人公のアルジュナが、 親しい血縁の人を殺したくないと悲観に暮れ、至高の神である主クリシュナに、『願わくば、最善の法(ダルマ)を教えたまえ』と、嘆き訴えるところから物語が始まります。 位相がしい方達のためバガヴァッドギーター わかりやすく18クラスコースでは月に1回は対面、1回はオンライン(毎月計2回)の9ヶ月コースとなります。 オンラインのみの参加もOKです。 ヴェーダ正式継承者 より、1章ごとに解説されるヴェーダの真髄「バガヴァッドギーター」講座のスタートアップ全力でおすすめいたします。 ヴェーダの中で最も秘奥な知識として現在に伝わる「バガヴァッドギーター」(バガヴァッド=神、ギーター=詩)を ヴェーダ正式継承者であるVamshi Priya Dasa Brahmachari 先生より全18章を解説いただく、全18回の講座です。 次のコースは来週の土曜日から開始されます。 奨学金制度および割引について現代社会における経済的な課題を私どもは十分に理解しております。しかし、精神的な教育の重要性も同様に認識しております。そのため、学生の皆様や経済的にお困りの方々に対して、本コースの特別割引制度を設けております。 「バガヴァッド・ギーター」全編 18章 18回シリーズ 第 1 章「ルクシェートラの戦場で両軍を見渡す」対峙する両軍の中に命を賭して戦う覚悟でいる親族や師、友人たちを見る。悲しみと哀れみにうちひしれて、アルジュナは力をなくし、茫然自失となって、ついに戦意を失う。 「人間の嘆きと苦しみの原因とは何なのか?」 第 2 章「ギータ−の要旨」弟子として主クリシュナに身を委ねたアルジュナに対する教えが始まる。 一時的な肉体と永遠の魂の違い、輪廻転生の過程、主への無私無欲の奉仕の性質、自己を悟った人の特徴について語られる。 第 3 章「カルマヨーガ」活動は人をこの物質世界に縛り付けもするし、反対にこの世界からの解放を与える。利己心を捨て至上主を喜ばせるために 活動することによって、人はカルマの法則から逃れ、自己と至上主についての超越的知識を得ることができる。 第 4 章「超越的知識」ギャーナヨーガ魂と神の関係についての精神的知識、人を束縛させるカルマと解放を与えるカルマとは? ギータ−の歴史、主がこの物質世界に降誕される目的と意義、様々な供養について、そしてグルに近づくことの重要性を説く。 第 5 章「カルマヨーガ」クリシュナ意識における活動 外見上では様々な活動をしながらも、内面では行為の結果に執着しない賢者は、超越的知識の火によって浄化され、平安、無執着、忍耐、スピリチュアルな視野を持ち、そして至福を味わう境地に至る。自己の悟った者に与えられる3つの光明と永遠の平和 の方程式とは。 第 6 章「ディーヤーナヨーガ」瞑想のヨーガ アシュタンガヨーガの瞑想によって、心と感覚を統御してパラアートマー(心の中に宿る内在神)に意識を集中しサマーディ、すなわち至上主を完全に悟った境地に至る。 第 7 章「絶対者の知識」 絶対真理についてさらに深い悟りをもった人は、クリシュナがすべての至高原因であり、物質エネルギー、精神エネルギー、あらゆるものを維持していることを知り、献身的に主に明け渡していく。 第 8…

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    Śrī Vāmana Dvādasi: 主Vāmanadevaの現れ

    主Vāmanadevaの出現日は、シュリー・ヴァーマナ・ドヴァダシとして祝われます。今年は 2024 年 9 月 15 日です。以下は、シュリーマド・バガヴァタム(第8篇第18から23章まで)から抜粋した、主が小人の化身として過ごした遊戯の短い物語です。 主Vāmanadeva、小人の化身 主Vāmanadevaは、法螺貝、円盤、棍棒、蓮華を身につけてAditiの胎内からこの世にお現れになりました。その体は黒っぽく、黄色い衣をまとっておられました。主Viṣṇuは、Abhijit星が昇ったシュラヴァナ・ドヴァーダシー(Śravaṇa-dvādaśī)の吉兆な時にお現れになりました。その時、三界すべて(高位の惑星系、宇宙空間、この地球を含む)で、すべての半神、牛、ブラーフマナ、そして季節さえもが、神の出現によって幸せでした。そのため、この吉兆な日はヴィジャヤと呼ばれています。sac-cid-ānanda(Bs.5.1)の体を持つ至高人格神が、KaśyapaとAditiの息子としてお現れになったとき、両親はともに非常に驚きました。主は出現後、小人(ヴァーマナ)の姿をおとりになりました。 偉大な聖者たちは皆、歓喜の意を表し、Kaśyapa Muniを前にして、主Vāmanaの誕生日の儀式を執り行いました。主Vāmanadevaの聖なる糸の儀式の際、太陽神、Bṛhaspati、地球を司る女神、天の惑星の主宰神、母親、主Brahmā、Kuvera、7人のṛṣis(リシ)、その他によって主Vāmanadevaが称えられました。その後、Vāmanadevaは、Narmadā川の北側にあるBhṛgukaccha(ブリグカッチャ)と呼ばれる野原の供犠の場を訪問されました。そこでは、Bhṛgu(ブリグ)王朝のブラーフマナたちがヤッギャを行っていました。muñjaの麦わらで作ったベルトを締め、鹿皮の上着と神聖な糸を身につけ、手にはダンダと傘と水瓶(kamaṇḍalu,カマンダル)を持って、Vāmanadevaはバリ王の供儀の場にお現れになりました。その超越的で光り輝く存在に、僧侶たちは皆力を失い、席から立ち上がってVāmanadevaに祈りを捧げました。主Śivaでさえ、Vāmanadevaのつま先から出たガンジス川の水を頭に受けます。そのため、バリ王は主の足を洗った後、すぐに主の足から出た水を頭に受け、自分と先人たちが確かな栄光を受けたと感じました。それからバリ王は主Vāmanadevaの安否を尋ね、主にお金や宝石など主がお望みになるものを求めてほしいと頼みました。 主Vāmanadevaがバリマハーラージャに施しを乞う バリ・マハーラージャは、Vāmanadevaをブラーフマナの息子だと思い、何でもお好きなものをお望み下さいと言いました。すると、Vāmanadevaはヒラニャカシプとヒラニャークシャの英雄的な行動を称賛し、バリ・マハーラージャの生まれた家を称賛した後、王に3歩分の土地を懇願なさいました。バリ・マハーラージャは、この土地は取るに足りないものだったので、施しとして与えることに同意しましたが、シュクラーチャーリャは、Vāmanadevaが神々の友人であるViṣṇuであることを理解していたので、バリ・マハーラージャにこの土地を与えることを禁じました。シュクラーチャーリャはバリ・マハーラージャに約束を撤回するよう勧めました。彼は、他人を従わせたり、冗談を言ったり、危険に対応したり、他人の幸福のために行動したりするとき、人は約束を果たさなくても、何の罪もないと説明しました。この哲学によって、シュクラーチャーリャはバリ・マハーラージャがVāmanadevaに土地を与えるのを思いとどまらせようとしました。 バリ・マハラジャが宇宙を明け渡す シュクラーチャーリャの有益な助言を聞いた後、バリ・マハーラージャは思索にふけりました。宗教、経済発展、感覚満足の原則を維持するのは世帯主の義務であるため、バリ・マハーラージャはブラフマチャーリーとの約束を撤回するのは不適切だと考えました。ブラフマチャーリーに与えた約束に嘘をついたり、守らなかったりすることは決して適切ではありません。なぜなら、嘘は最も罪深い行為だからです。誰もが嘘に対する罪深い反応を恐れるべきです。なぜなら、母なる地球は罪深い嘘つきの重荷にさえ耐えられないからです。王国や帝国の拡大は一時的なものであり、一般大衆に利益がなければ、そのような拡大には価値がありません。これまで、偉大な王や皇帝は皆、一般大衆の幸福を考慮して王国を拡大しました。実際、一般大衆の利益のためにそのような活動に従事している間、著名な人々は時々自分の命を犠牲にすることさえありました。栄光に満ちた活動を行う者は常に生きていて、決して死ぬことはないと言われています。したがって、名声は人生の目標であるべきであり、良い評判のために貧困に陥ったとしても、それは損失ではありません。たとえこのブラフマチャーリーであるVāmanadevaが主Viṣṇuであったとしても、たとえ主が彼の施しを受け入れて再び彼を逮捕したとしても、バリ・マハーラージャは彼を妬むことはないだろうと考えました。これらすべての点を考慮して、バリ・マハーラージャは最終的に所有していたすべてのものを施しとして与えました。 すると主Vāmanadevaは、たちまち宇宙体へと自らを広げていきました。主Vāmanadevaの慈悲により、バリ・マハーラージャは主が遍在し、すべてのものが主の体に宿っていることを知ることができました。バリ・マハーラージャは主Vāmanadevaを、兜をかぶり、黄色い衣をまとい、シュリーヴァツァの印、カウストゥバの宝玉、花輪を身につけ、全身を装飾品で飾った至高のViṣṇuとして見ることができました。このように、その活動が素晴らしい至高人格主神は、1歩で地球の表面全体を覆い、その体で空を覆い、その腕であらゆる方向を覆いました。そして2歩目で上層惑星系全体を覆いました。そのため、3歩目で踏み出すことのできる空き地はありませんでした。 主によって逮捕されたバリ・マハーラージャ 二歩目で、至高人格神は宇宙の頂点にある惑星ブラフマローカに到達され、その美しさを足の爪の輝きで縮小なさいました。こうしてブラフマー神は、マリーチのような偉大な賢者達やすべての高位惑星の支配的な神々を伴って、主に謙虚な祈りと礼拝を捧げました。彼らは主の足を洗い、あらゆる道具を使って主を礼拝しました。リクシャラージャ、ジャンバヴァンはラッパを吹き、主の栄光を響かせました。 バリ・マハーラージャがすべての財産を奪われたとき、悪魔たちは非常に怒りました。バリ・マハーラージャは悪魔にそうしないように警告しましたが、悪魔たちは主Viṣṇuに対して武器を取りました。しかし、彼らは皆、主Viṣṇuの永遠の仲間によって打ち負かされ、バリ・マハーラージャの命令に従って、全員が宇宙の下層惑星に入りました。主Viṣṇuの目的を理解した主Viṣṇuの運搬人であるガルダは、すぐにヴァルナのロープでバリ・マハーラージャを捕らえました。バリ・マハーラージャがこのようにして無力な立場に追い込まれたとき、主Viṣṇuは彼に3番目の土地をお求めになりました。バリ・マハーラージャが約束を果たせなかったとき、主Viṣṇuはバリ・マハーラージャの決意と誠実さを評価されたので、主Viṣṇuは彼の居場所は天の惑星よりも良いスタラ惑星であると確定なさいました。 バリ・マハーラージャが命を捧げる バリ マハーラージャは非常に誠実な人でした。約束を守れなかったため、彼は非常に恐れていました。誠実さから逸脱した者は社会の目には取るに足らない存在であることを知っていたからです。高貴な人は地獄のような生活の結末に苦しむことはできますが、彼は真実から逸脱したことで中傷されることを非常に恐れています。バリ マハーラージャは、至高人格神から与えられた罰を喜んで受け入れました。バリ マハーラージャの王朝には、Viṣṇuに対する敵意のために、多くの神秘的なヨギよりも崇高な目的地に到達したアスラがたくさんいました。バリ マハーラージャは、献身的な奉仕に対するプラフラーダ マハーラージャの決意を特に覚えていました。これらすべての点を考慮して、彼はViṣṇuの第3歩目の場所として、布施のために自分の頭部を差し出すことにしました。バリ・マハーラージャは、偉大な人物たちが至高神を満足させるために家族関係や物質的所有物を放棄する様子にも注目しました。実際、彼らは主を満足させるために、ただ主の個人的な召使い・従者・しもべになるために、時には自らの命さえも犠牲にしました。したがって、バリ・マハーラージャは、先代のアーチャーリャや信者たちの足跡をたどることで、自分が成功したと感じました。 バリ・マハーラージャがヴァルナの縄に捕らえられ、主に祈りを捧げていると、祖父のプラフラーダ・マハーラージャが現れ、至高人格神が巧妙な方法で彼の財産を奪い、バリ・マハーラージャを救った様子を語りました。プラフラーダ・マハーラージャが同席する中、主ブラフマーとバリの妻ヴィンディヤーヴァリは至高主の至高性について語りました。バリ・マハーラージャは主にすべてを捧げていたので、彼らは彼の解放を祈りました。すると主は、非献身者の富の所有は危険であるのに対し、献身者の富は主からの祝福であると語りました。すると、至高主はバリ・マハーラージャに満足され、バリ・マハーラージャを守るために円盤を差し出し、彼とともにいることを約束なさいました。 半神たちが天界の惑星を取り戻す 偉大なる魂バリ・マハーラージャは、人生における最高の利益は、完全な服従をもって主の蓮華の御足のもとで献身奉仕を達成することである、と体験しました。この結論に固定し、心は恍惚とした献身で満たされ、目には涙が溢れ、彼は人格主神に敬意を表し、それから仲間とともにスータラとして知られる惑星に入りました。こうして、至高人格神はAditiの願いを満たし、インドラ神を再び座にお就かせになりました。プラフラーダ・マハーラージャはバリが拘束から解放されたことを知って、それからこの物質界における至高人格神の超越的な遊戯について説明しました。プラフラーダ・マハーラージャは、物質界を創造し、すべての人に平等であり、望みの木のように献身者に対して極めて寛大である至高主を称賛しました。実際、プラフラーダ・マハーラージャは、主は献身者だけでなく悪魔に対しても親切であると述べました。このようにして、彼は至高人格神の無限のいわれなき慈悲を描写しました。そして、手を合わせて主に敬意を表し、主の周りを巡礼した後、主の命令に従ってスタラ星に入りました。 主は、それからŚukrācāryaに、バリ・マハーラージャが供犠の儀式を遂行する際の誤りと矛盾点を説明するように命じました。Śukrācāryaは主の聖なる名前を唱えることで果報的な行為から解放され、どのように唱えることで束縛された魂のすべての過失を減少させることができるのかを説明しました。それからバリ・マハラジャの供儀を完了しました。すべての偉大な聖者たちは、インドラを天界に帰還させた主Vāmanadevaを、主インドラの恩人として受け入れました。彼らは、宇宙のすべての事柄の維持者として、至高人格神を受け入れました。非常に喜んだインドラは、仲間とともにVāmanadevaを自分の前に乗せ、自分たちの飛行機で天界に戻りました。バリ・マハーラージャの供儀の場で主Viṣṇuが素晴らしい活動をなさるのを見て、すべての半神、聖者、ピター、ブータ、シッダは、何度も何度も主を讃えました。 束縛された魂の最も縁起の良い働きは、主Viṣṇuの栄光ある活動について唱え、聞くことです。死に支配されている者は、地球上の原子の数を数えることができないのと同じように、至高人格神、Trivikrama、主Viṣṇuの栄光を測ることはできません。すでに生まれている者も、これから生まれる者も、誰もこれを行うことはできません。これは偉大な聖者Vasiṣṭhaによって歌われました。至高人格神のさまざまな化身における並外れた活動について聞いた人は、間違いなく高次の惑星系に昇格するか、あるいは故郷、つまり神のもとに連れ戻されます。